『あんぱん』視聴率17.8%突破!戦時中描写から戦後復興への感動物語が心を掴む理由

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戦時中描写が視聴者の心を掴んだ朝ドラの新境地

NHK連続テレビ小説『あんぱん』は、これまでの朝ドラでは扱われることの少なかった戦時中の描写を真正面から描き、視聴者に強烈な印象を残している。今田美桜演じるヒロイン・のぶが「愛国の鑑」として戦時下の空気に染まっている姿や、北村匠海演じる嵩が体験する旧陸軍での過酷な軍隊生活は、従来の朝ドラとは一線を画す重厚な描写として話題を呼んでいる。

特に注目すべきは、これまでの朝ドラが避けてきた戦地での激しい描写を丁寧に積み重ねたことだ。ゆで卵のシーンやリンが岩男を銃殺したシーンなど、戦争映画並みの詳細な描写は、朝の時間帯には重すぎるという声もあったが、実際には視聴率の向上につながっている。ドラマ評論家・成馬零一氏の分析によれば、「辛い経験を徹底的に描いたから現在、放送中の戦後の場面が輝き、視聴率もアップしている」という現象が起きているのだ。

従来の朝ドラでは、戦時下の空気に疑問を持っている女性がヒロインになることが多かった。しかし『あんぱん』では、のぶのように日本が勝つことを信じている女性をヒロインに据えることで、当時のリアルな少年少女の姿を描き出している。多くの視聴者が「自分が信じてきたことが全部間違いだった事を知った人の苦しみ」について深く考えるきっかけとなり、戦後を知らない世代にも強い印象を与えている。

中園ミホさんの脚本は、反戦的内容を声高に叫ぶのではなく、戦時中の戦地での様子や国内での銃後の人々の様子を丹念に描写することで、視聴者に「戦争って嫌だな」という感情をじんわりと感じさせる手法を取っている。嵩と千尋の今生の別れになるかもしれない場面では、多くの視聴者が涙を流し、その後の展開への関心を高めている。

戦争になれば国家のために命を捧げることが正当化され、戦地に赴く兵隊さんに家族が「生きて帰ってきて」と言うことさえ許されない社会の描写は、命の尊厳が欠如した当時の状況を鮮明に浮かび上がらせている。千尋が言った「この戦争さえなかったら、愛する国のためより愛する人のために生きたかった」という言葉は、あの時代に生きて戦争で亡くなっていった若者の代弁として、多くの視聴者の心に深く刻まれている。

視聴者からは「戦争のシーンで視聴者が減ったわけではなく、むしろ戦争シーンから視聴率が上昇した」という声も上がっており、役者陣の魂の演技がネットでも話題となり、じわじわと視聴者が増えていった現象が確認されている。戦前から戦中は涙なしでは見られない展開だったからこそ、アンパンマンマーチの「生きる喜び」という歌詞に説得力が生まれ、物語全体の深みが増している。

『あんぱん』の戦時中描写は、単なる戦争の悲惨さを追求するものではなく、なぜこんな戦争が起こったのか、そのためにどうするべきかということをテーマにしている。やなせたかしが「正義自体を信じない」と語っていたように、逆転しない正義とは何かを問いかける深い作品として、多くの視聴者の心を掴んでいるのだ。

戦後復興への希望が輝く物語の転換点

『あんぱん』の物語は、重い戦時中描写から戦後復興への希望に満ちた展開へと大きく転換し、視聴者に明るい未来への期待感を抱かせている。高知新報編に突入した現在の展開では、主人公のぶと嵩が新聞社という新たな舞台で再会を果たし、絶望から希望へ向かう快進撃ターンが始まっている。

戦後復興期の描写で特に印象深いのは、のぶが戦時中に自分を責める場面から立ち直り、懸命に頑張っている姿だ。嵩の父親が言っていた「絶望の隣に希望がある」という言葉がのぶの口から出てくる場面は、より説得力を持って視聴者の心に響いている。戦争の絶望を経験したからこそ、その言葉に込められた深い意味が伝わってくるのだ。

新聞社での再会は、まさに運命的な転換点として描かれている。のぶが入社試験の手伝いをしている中で、最後に現れた嵩を見た時の驚きと喜びの表情は、新たな希望の始まりを予感させる。史実では、やなせたかしと暢さんは幼なじみではなく、1946年に高知新聞の同僚として初めて出会っており、この新聞社時代が彼らの人生にとって重要な転換点となったのだ。

戦後復興の象徴として描かれる月刊誌「月刊くじら」の立ち上げは、新しい時代への希望を表している。編集室の壁に掛かっている月刊クジラ編集人の名札で左端が空いているのは、きっと嵩の名前が掛けられる場所として用意されているのだろう。嵩の絵の才能が新聞社で活かされ、四コマ漫画や月刊誌での活躍が期待される展開は、視聴者にとっても楽しみな要素となっている。

のぶの「この人とやったら、不幸になってもえい」という告白は、戦後復興期における新しい恋愛観の表れでもある。戦時中は愛する人のために生きることさえ許されなかった時代から、個人の感情を大切にできる時代への変化を象徴している。戦争を経験した二人だからこそ、真の愛情の意味を理解し、お互いを支え合って新しい時代を築いていこうとする意志が感じられる。

新聞社時代のやなせさんは、記者や編集者、イラストレーター、そして漫画家としてさまざまな仕事をしており、その後の多彩なキャリアにつながる活躍を見せていた。『あんぱん』でも、嵩が新聞社で本領発揮する展開が期待されており、戦後復興期における文化的な復活の象徴として描かれることだろう。

視聴者からは「これからは絶望から希望へ向かっての快進撃ターンなのでまだまだ視聴率は上がりそう」「戦後は、主役も脇役も成功に向かっていく展開なので、視聴率も上がってる」という期待の声が上がっている。嵩とのぶの結婚や嵩が正にやなせ氏となっていく過程、妹たちの今後など、目が離せない展開が待ち受けている。

戦後復興への道のりは決して平坦ではないが、『あんぱん』が描く希望に満ちた物語は、現代を生きる私たちにも勇気と元気を与えてくれる。絶望の隣にある希望を信じ、前向きに生きることの大切さを、美しい映像と感動的なストーリーで伝えてくれる作品として、多くの視聴者に愛され続けているのだ。

鳴海唯が魅せる新世代女優としての確かな存在感

『あんぱん』第14週から新人新聞記者・小田琴子役で出演している鳴海唯の演技が、視聴者から高い評価を受けている。6年ぶり2回目の朝ドラ出演となる鳴海唯は、前作『なつぞら』での初々しい演技から大きく成長し、今作では新世代女優としての確かな存在感を示している。

鳴海唯が演じる琴子は、戦後の女性初の女性記者としてのぶと同期入社した人物で、最初はのぶをいじめるライバル的な役かと思われていた。しかし実際には、屋台で酒を飲むようなギャップがあり、結婚相手を探すために入社したと言いながらも仕事ができる魅力的なキャラクターとして描かれている。鳴海唯の演技は、この時代にはレアなキャラクターである琴子の器用さと強かさを見事に表現し、味方なら心強いけれど敵に回したら怖いタイプの女性を巧みに演じている。

特に印象深いのは、居酒屋でのシーンでの鳴海唯の演技力だ。視聴者からは「この子の演技、居酒屋でのシーンは凄く上手いと思いました」「とてもとても良い演技。存在感がたまりません」という絶賛の声が上がっている。サザエさん髪型がお似合いで、あの時代の女性らしい細くて華奢でお淑やかな雰囲気を醸し出しながらも、戦後を生き抜いていこうとする人間臭さも表現している。

鳴海唯にとって特別な意味を持つのが、オーディションシートの自由欄に「アンパンマンのような人になりたい」と書いたというエピソードだ。これは『あんぱん』の制作発表前の偶然の産物で、チーフ・プロデューサーの倉崎憲氏も「これは運命だ!」と驚いたという。鳴海唯自身も「愛と勇気を共有できる人になりたい」という思いから生まれた言葉で、まさに運命的な出会いとなった。

2回目の朝ドラについて鳴海唯は、「6年間で出会ってきた作品、培ってきた経験を生かせたらという思いで臨みました。いつも以上に作品全体を見て、視野を広くして臨むことができた」と語っている。初回の『なつぞら』では共演者についていこうと必死だったが、今回は良い意味で力が抜けて自然体で演技している様子が伝わってくる。

琴子のキャラクターは、この時代の女性としては珍しく、お淑やかな女性を演じながらも自分をしっかり持っている。「こんまい(小さい)ことは気にせず、とりあえず酒でも飲みに行こう」という高知らしい豪快さを持ちながら、二面性が魅力的で、まさにカメレオンのような表現力を見せている。昨日の質屋のご主人を落とした酒の力のシーンでは、その演技力の高さが際立っていた。

視聴者からは「フジテレビのドラマなら主役に抜擢されたかもしれない」「とてもキャラ立ちしてて十分インパクトありました」「この子これから伸びてきそう」という期待の声が多数寄せられている。朝ドラという注目度の高い作品に出演することで、鳴海唯の知名度も大幅に上がっており、吉岡里帆さんのようにメインでなくとも知名度を上げた女優になる可能性を秘めている。

琴子は今後、のぶと嵩の良きキューピット役としても活躍が期待されている。嵩を気に入り、のぶに応援してほしいと頼むような展開があれば、ただの飲み友で終わることなく、朝ドラで確実に爪痕を残すことができるだろう。鳴海唯の今後の飛躍と、琴子というキャラクターがもたらす物語の新たな展開に、多くの視聴者が注目している。

GHQ時代の検閲が物語る表現の自由への思い

『あんぱん』で描かれる戦後復興期において、やなせたかしの商業デビュー作となった『キュウリ夫人』がGHQの検閲に引っかかったエピソードは、表現の自由という重要なテーマを浮き彫りにしている。1946年7月1日に発行された「月刊高知」創刊号に掲載されたこの作品は、キュリー夫人をモデルにしたわずか6コマの平和な物語だったにも関わらず、GHQから警告書が届くという事態を招いた。

このエピソードが示すのは、戦後の日本が直面していた表現の制約の現実だ。1952年の独立まで、日本の新聞や出版物はアメリカの検閲を受けており、GHQが各活字媒体に出していたプレスコードには「連合国に関し、虚偽または破壊的批判をしてはならない」といった項目があった。『キュウリ夫人』は特にキュリー夫人を侮辱するような内容ではなかったものの、この厳しい基準に引っかかってしまったのだ。

やなせさんは自分のマンガが監視されていることに強い驚きを感じ、翌月の「月刊高知」編集後記に謝罪文を載せることになった。この体験は、若き日のやなせさんにとって表現することの困難さと、それでも創作を続けることの意味について深く考えるきっかけとなったに違いない。後に『アンパンマン』で「愛と勇気」というメッセージを込めた彼の作品づくりの原点が、この時代の体験にあるのかもしれない。

興味深いのは、『キュウリ夫人』のキャラクターデザインだ。メガネをかけた黒髪の知的な美人として描かれたキュウリ夫人は、若き日の暢さんに似ており、ビジュアルは彼女がモデルと考えられている。やなせさんが愛する人をモデルにした作品が検閲の対象となったことは、個人的な創作活動にまで及ぶ当時の統制の厳しさを物語っている。

『あんぱん』の「月刊くじら」でも、嵩の商業デビューマンガが掲載される可能性があり、それがどのような内容でどんな反応を生むのか、そしてのぶがどんな影響を与えているのかが注目される。戦後の混乱期において、新しい価値観と古い統制の狭間で創作活動を続けることの困難さと意義が描かれることだろう。

視聴者からは「キュウリ夫人、あんぱんで観てみたいエピソードですね」「タカシ君ならやりそうな気がします。番組で再現してくれないかな」という期待の声が上がっている。また、「このエピソードは何を物語っているのか。放射線を彷彿とさせる記述が問題視されたのでしょうか?」という疑問も寄せられており、当時の検閲の実態への関心も高まっている。

GHQ時代の検閲体験は、やなせさんの創作姿勢に大きな影響を与えたと考えられる。「ホップ、ステップ、ジャンプ、サイゴウ ドーン」の四コマ漫画のように、駄洒落と現実からインスパイアされた作品を作る彼の持ち味は、直接的な政治的メッセージよりも、日常の中にある小さな笑いや希望を大切にする姿勢につながっている。

表現の自由が制限された時代を経験したからこそ、やなせさんは後に『アンパンマン』という普遍的な愛と勇気のメッセージを込めた作品を生み出すことができたのかもしれない。『あんぱん』が描くこの時代の体験は、現代の私たちにとっても表現の自由の大切さと、それを守り続けることの重要性を改めて教えてくれる貴重な物語となっている。検閲という制約の中でも創作への情熱を失わなかった若き日のやなせさんの姿は、すべての表現者にとって励みとなる存在なのだ。

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