朝ドラ「ばけばけ」に出てきたシャチホコは、2026年1月14日放送の第73回で江藤知事からヘブン(ラフカディオ・ハーン/小泉八雲)に贈られた石像です。このシャチホコは松江城にあったものという設定で、滅びゆく武士の世の記憶を異国の語り部へ託す象徴的な小道具として描かれました。ドラマのモデルとなった小泉八雲旧居の庭には、実際に苔むした石のシャチホコが現存しており、八雲自身も著書『知られぬ日本の面影』の中でその姿を詳細に描写しています。
NHK連続テレビ小説「ばけばけ」は、明治時代の松江を舞台に、西洋からの来訪者ヘブンと没落士族の娘トキ(小泉セツ)の交流を描いた作品です。第15週「マツノケ、ヤリカタ。」の第73回では、二人の新居祝いの場面において、島根県知事である江藤(演:佐野史郎)が持参した贈り物がシャチホコでした。このエピソードは視聴者に深い印象を与え、なぜシャチホコなのかという疑問とともに、ドラマが持つ「記憶の継承」というテーマを鮮やかに浮き彫りにしました。本記事では、ドラマで描かれたシャチホコの意味、実在する小泉八雲旧居のシャチホコの詳細、松江城のシャチホコにまつわる歴史と伝説、そして史実における知事と八雲の関係について詳しく解説していきます。

ドラマ「ばけばけ」第73回で描かれたシャチホコの贈答シーン
第73回の放送は、ヘブンとトキの関係性が周囲の公認を得て新たな段階へと進む重要な回でした。物語上の時間は明治24年(1891年)前後と推定され、松野家はかつての上級士族でありながら維新後の社会変動により困窮した家庭として描かれています。トキは時代に取り残された人々の哀愁と目まぐるしく変わる世の中への違和感を抱えて生きており、一方のヘブンは西洋文明の合理主義よりも日本の「怪談」や不可視の精神世界に魅了される異邦人として登場しています。
この回において、ヘブンとトキの新居祝いあるいは婚約の報告という文脈の中で、島根県知事である江藤が松野家を訪問する場面が描かれました。江藤は松江出身の設定であり、西洋文明を取り入れつつも郷土への深い愛着を持つ人物として造形されています。彼はヘブンの正座の美しさに感銘を受け、「立派な日本人だ」と太鼓判を押しました。そして物語のクライマックスとなったのが、江藤がヘブンに贈った「引越し祝い」のシーンです。
江藤知事がシャチホコを贈った理由と意味
江藤が持参したのは、娘のリヨが選んだ華やかな品々とは対照的な、無骨な石のシャチホコでした。江藤は「お城にあったもので、大変由緒あるもので、気に入って我が家の庭に置いちょったんですが、ヘブン先生の方がふさわしいと思いましてのう」と語りました。この台詞と行為には、極めて多層的な意味が込められています。
廃城のメタファーとしての側面が一つ目の意味です。明治維新後の廃城令(1873年)により、松江城を含む全国の城郭は軍事上の必要性を失い、多くの建物が破却あるいは民間に払い下げられた歴史的事実があります。城の一部であったシャチホコが個人の庭にあるという設定は、かつての権威の象徴が解体され断片化して市井に流出した時代の悲哀を表現しています。
価値の転換と継承の儀式としての側面が二つ目の意味です。当時の一般的な日本人にとって、解体された城の石材は「無用の長物」になりつつあったかもしれません。しかし江藤はそれを「由緒あるもの」として保存していました。そしてそれを西洋人であるヘブンに託したのです。ヘブンがこの贈り物を「下駄よりも由緒ありそうで素晴らしい」と大喜びする姿は、彼が物質的な利便性ではなくその背後にある日本の精神性を理解する稀有な存在であることを強調していました。
視聴者の反応とシャチホコが果たした演出的効果
このシーンは視聴者に強い印象を与えました。リヨがヘブンの気を引こうと奔走する一方で、父である江藤の方がヘブンの本質を深く理解していたという対比が鮮やかであったためです。ヘブンが愛するのは怪談や古いものであり、華やかな贈り物よりも歴史の重みを感じさせる石像の方がふさわしいという理解を江藤は持っていました。佐野史郎演じる江藤知事の、とぼけた味わいの中に見え隠れする教養と威厳が、この奇妙な贈り物を説得力あるものにしていました。
シャチホコは単なる小道具ではなく、滅びゆく武士の世の記憶を異国の語り部へと託す「聖なる遺物」として機能していたのです。ドラマ制作陣がこの小道具を選んだ意図は、文化の継承というテーマを視覚的に強く印象付けることにあったと考えられます。
小泉八雲旧居に現存するシャチホコの場所と特徴
ドラマのモデルとなった小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が実際に暮らした「小泉八雲旧居(ヘルン旧居)」の庭には、今もなお実物のシャチホコが鎮座しています。この旧居は島根県松江市北堀町に位置し、元は松江藩士・根岸家の武家屋敷であり、江戸時代後期の建築様式を今に伝える国指定史跡です。
八雲はこの屋敷に明治24年(1891年)の5月から11月までの約5ヶ月間居住しました。短い期間ではありましたが、彼はここの庭をこよなく愛しました。庭園は三方に展開しており、北庭、西庭、南庭から構成される枯山水様式です。問題のシャチホコは南庭と西庭の境界付近、あるいは南西の隅とされる場所に配置されています。八雲の書斎からは北側の庭と西側の庭を同時に眺めることができ、彼は竹や葦で作られた垣根越しに見える風景の移ろいを詳細に観察していました。シャチホコは苔むした飛び石や風化した石灯籠、そして見事なサルスベリの古木などと共に、この静寂な空間の重要な構成要素となっています。
シャチホコの材質「来待石」が持つ松江特有の美学
ドラマや一般的な観光ガイドでは単に「石のシャチホコ」とされることが多いですが、その材質について深く掘り下げると松江特有の地域性が見えてきます。このシャチホコは島根県宍道町来待地区で産出される来待石(きまちいし)で作られている可能性が極めて高いとされています。
来待石は凝灰質砂岩であり、粒子が細かく加工が容易であることから、出雲地方の石灯籠や墓石、建材として古くから重用されてきました。その最大の特徴は水分を含みやすく苔がつきやすいという点にあります。これは石材としての耐久性においては弱点ともなり得ますが、庭園においては「侘び寂び」を演出する最高の素材となります。八雲の旧居にあるシャチホコが長い年月を経て厚い苔に覆われ、その輪郭が自然と融和して見えるのはこの来待石の特性によるものです。八雲は『日本の庭』の中で「石には性格がある」と記していますが、湿潤な松江の気候と呼応して変化するこの石材は、八雲の愛した「日本の面影」そのものであったと言えます。
八雲が著書に記したシャチホコの独創的な描写
八雲は著書『知られぬ日本の面影(Glimpses of Unfamiliar Japan)』に収録された「日本の庭(In a Japanese Garden)」という随筆の中で、このシャチホコについて具体的かつ独創的な描写を残しています。彼はそれを「鼻を地につけ、その尾を空に立てた、理想化した海豚(イルカ)の、大きな石の魚」と表現しました。
この描写には八雲ならではの鋭い観察眼とユーモア、そして哀愁が含まれています。通常、城の屋根にあるシャチホコは空に向かって背を反らせ威嚇するように口を開けています。しかし庭に置かれたシャチホコは、本来の「空中の守護者」としての地位を追われ地面に転がっています。八雲が「鼻を地につけ」と表現したその姿勢は、あたかも逆立ちをしているようであり、あるいは地上に墜落して埋まってしまったかのようにも見えます。
当時の注釈によればこの「逆立ち」の姿勢は「シャチホコ立ち」という日本語の慣用句を想起させるものであり、八雲もその文化的背景を理解していた可能性があります。彼はこの奇妙な石像を単なる庭の装飾としてではなく、かつて高い場所にあったものが地上に降りてきたという「運命の変転」を象徴する存在として捉えていたのではないでしょうか。
小泉八雲旧居のシャチホコは本当に城から来たのか
ドラマでは江藤知事が「城にあったもの」と明言していますが、現実の旧居にあるシャチホコの出自についてはいくつかの説が存在します。有力な説の一つは、明治維新後の混乱期に松江城内の建造物や武家屋敷が取り壊された際に廃棄されたものを誰かが拾い上げ、この屋敷の庭に据えたというものです。
八雲がこの屋敷に住む以前からそこにあったのか、あるいは八雲が興味を持って持ち込ませたのかは定かではありません。しかし八雲自身が「城の屋根のとがった角に見るようなシャチホコ」と認識していたことは事実です。松江城天守自体は地元の有志によって買い戻され破却を免れましたが、城内にあった多くの櫓や門は失われました。旧居の庭にある苔むしたシャチホコはそうした「失われた城郭の一部」の生き残りである可能性が高く、その意味でドラマの設定は史実の核心を突いていると言えます。
松江城天守に輝く現存最大の木造シャチホコ
ドラマのシャチホコが「石」であるのに対し、その起源である松江城天守の大棟に輝くシャチホコは「木造」です。松江城天守の屋根に据えられているシャチホコは木造の骨組みに銅板を張った構造であり、その高さは約2.08メートルに達します。これは現存する木造シャチホコとしては日本最大規模です。
現在天守の頂上にあるものは昭和30年代(1950年代)の解体修理の際に新調されたものです。それ以前に約340年間にわたって風雪に耐えてきた「旧シャチホコ」は、現在松江城天守の地階(井戸のある階)に展示されています。この旧シャチホコは松の厚板で作られており、表面の銅板は緑青に覆われています。
特筆すべきは雄と雌の造形の違いです。向かって左側が雄、右側が雌とされますが、雄のシャチホコは雌に比べて鱗(うろこ)が粗く彫刻されているという特徴があります。この微細な差異は遠く地上からは判別し難いですが、職人のこだわりと陰陽の調和を重んじる日本の伝統思想が反映されています。
シャチホコが城に置かれる理由と火伏せの伝説
なぜ城の屋根に魚のような怪物が置かれるのでしょうか。その最大の理由は「火伏せ(ひぶせ)」、すなわち火災除けの呪術的機能にあります。シャチホコ(鯱)は頭は虎、体は魚、背中には鋭い棘を持ち尾ひれを空に向けて反らせた姿をしています。伝説によればこの霊獣は「火事の際には口から大量の水を吐き出して火を消す」能力を持つと信じられていました。
日本の城郭建築は木造であり、落雷や失火による火災は城の存続に関わる最大の脅威でした。そのため水を支配する海獣を屋根の最も高い場所に置くことで霊的な結界を張り、火災を防ごうとしたのです。松江城においては屋根の妻飾りである「懸魚(げぎょ)」も水棲生物をモチーフにしており、建物全体が水のイメージで守られています。
シャチホコの起源はアジア各地の伝説にまで遡る
シャチホコの起源は中国の「鴟尾(しび)」や「螭吻(ちふん)」、さらにはインド神話の怪魚「マカラ」にまで遡るとされています。マカラは水を操る神ヴァルナの乗り物であり、象のような鼻を持つ怪魚として描かれることが多いです。日本に伝来する過程でその姿は変化し、城郭を守る「鯱」として定着しました。八雲が「理想化した海豚(イルカ)」と呼んだのもこの異形の起源を直感的に感じ取っていたからかもしれません。
東アジアから東南アジアにかけて、水の霊獣を建物の屋根に置く風習は広く見られます。これは火災に対する人々の恐怖と、水という自然の力への信仰が結びついた文化的現象と言えるでしょう。松江城のシャチホコもまたそうした信仰の延長線上にあり、単なる装飾ではなく城を守護する霊獣としての役割を担っていました。
松江城に伝わる人柱伝説と怪異の記録
松江城にはシャチホコによる火伏せの祈りとは裏腹に、築城に際しての悲劇的な伝説も残されています。これらは八雲も関心を寄せ、その著書で触れているテーマです。
人柱伝説として最も有名なのは、天守台の石垣が何度も崩れるため、盆踊りで最も美しく踊っていた少女を拉致し生きたまま人柱として埋めたという伝説です。以来、城下で盆踊りをすると城が揺れる怪異が起き、盆踊りが禁止されたと伝わっています。
ギリギリ井戸という名前の井戸についての伝説もあります。築城時に崩れる石垣の下から槍の刺さった髑髏が見つかり、それを供養した場所から湧き出した水脈とされています。この井戸は天守地階に現存し、旧シャチホコが展示されている場所のすぐ近くにあります。
コノシロ伝説は、天守に現れた幽霊に対し城主・松平直政が魚のコノシロを供えて鎮めたという逸話です。これらの伝説は城という巨大構造物が単なる物理的な石と木の塊ではなく、人間の犠牲や霊的なエネルギーの上に成り立っていることを示唆しています。シャチホコが屋根の上で睨みを利かせているのは、外部からの火災だけでなく内部に眠るこうした怨念や悲劇の記憶を鎮めるためでもあったのかもしれません。
史実における籠手田安定知事と小泉八雲の関係
ドラマ「ばけばけ」では江藤知事(演:佐野史郎)がシャチホコを贈るという演出がなされましたが、そのモデルとなった籠手田安定(こてだやすさだ)とハーン(八雲)の史実における関係はどのようなものだったのでしょうか。ここにはドラマ以上に深い「武士道」と「異文化理解」のドラマが存在します。
籠手田安定は旧平戸藩士の出身であり、幕末の剣豪・山岡鉄舟にその腕を認められたほどの達人でした。彼は明治政府の官僚として滋賀県知事や島根県知事を歴任しましたが、その精神はあくまで「武士」そのものでした。籠手田は急速な欧化政策が進む中で、日本の伝統的な道徳や精神文化が失われることを危惧していました。同時に彼は開明的な実務家でもあり、英語教育の重要性を深く理解していました。
明治23年(1890年)、籠手田がラフカディオ・ハーンを島根県尋常中学校の英語教師として招聘した際、月給100円という当時の県知事の給与に匹敵する破格の待遇を用意しました。これはハーンの才能と人間性を見抜いていたからに他なりません。
史実で籠手田知事が八雲に贈った「鶯」の逸話
史実において籠手田がハーンに贈ったものはシャチホコではありませんでした。記録に残る最も印象的な贈り物は「鶯(ウグイス)」です。明治24年(1891年)の冬、松江の厳しい寒さに慣れないハーンは気管支カタルを患い病床に伏していました。その際、籠手田知事あるいはその周辺から見舞いとして届けられたのが、美しい竹籠に入った一羽の鶯でした。
ハーンはこの贈り物に深く感動し、同僚の西田千太郎(ドラマの錦織のモデル)宛の手紙の中で、「珍しい形の箱に入れられた鶯が届けられたこと」「贈り主への感謝の言葉をどう表せばよいかわからないほど感動したこと」を記しています。春告鳥である鶯を冬の病床に贈るという行為は、ハーンの回復を祈ると同時に日本の風流な心を伝える極めて洗練されたジェスチャーでした。
また籠手田はハーンを私邸に招き、自慢のコレクションである書画骨董を見せたり、娘に琴を演奏させたり、さらには自ら剣舞を披露したりして歓待しました。ハーンは籠手田の中に西洋文明にはない「古き日本の武士の理想像」を見出し、深い敬意を抱いていました。
ドラマがシャチホコを選んだ意図と演出上の効果
史実の「鶯」が「シャチホコ」に置き換えられた理由は、物語のテーマである「継承」と「廃滅への抵抗」を視覚的に強化するためであると考えられます。鶯は美しいですが寿命があり、やがて死にます。しかし石のシャチホコは半永久的に残ります。またシャチホコは「城」の象徴であり、廃城令によって危機に瀕していた日本の伝統文化そのものを体現しています。
ドラマの中で江藤が「我が家の庭に置いていた」シャチホコをヘブンに託すシーンは、史実の籠手田がハーンに対して抱いていた「日本の心を理解する外国人」への信頼を、より永続的で重みのある形で表現した演出と言えます。それは籠手田という「最後の武士」からハーンという「新しい語り部」への、日本精神のバトンタッチを可視化した名場面でした。
八雲が見出した「鼻を地につけた」シャチホコの哲学
八雲が描写した「鼻を地につけ、尾を空に立てた」シャチホコの姿は、単なる物理的な配置以上の意味を持っています。かつて城の天守という権力と威厳の頂点にあった霊獣が、今は庭の土の上に鼻をつけている。これは明治維新によって武士階級が没落し、かつての価値観が地に墜ちた状況と重なります。
しかし八雲はその姿を嘲笑するのではなく、「理想化された海豚」として、あるいは苔をまとった自然の一部として新たな美を見出しました。彼は滅びゆくもの、打ち捨てられたものの中にこそ真正な日本の美が宿っていると考えたのです。逆立ちして埋まったシャチホコは、近代化の波に抗いながらもその精神を大地に根付かせようとする八雲自身の姿の投影でもあったかもしれません。
廃材から文化遺産へ:松江城が守られた奇跡
ドラマ「ばけばけ」が2026年という現代にこのエピソードを提示した意義は大きいです。現代社会において効率や経済性の名の下に多くの歴史的建造物や伝統文化が失われつつある状況は、明治の廃城令の時代と通底するものがあります。
松江城天守は地元の豪農や旧藩士たちの奔走によって、わずか180円(現在の価値で数百万円から一千万円程度)で買い戻され破却を免れたという奇跡的な歴史を持っています。もし彼らの行動がなければ国宝・松江城は存在せず、八雲が愛した「城の見える風景」も失われていたでしょう。八雲が庭のシャチホコを愛でた行為と、松江の人々が城を守った行為は同じ精神的源流にあります。それは「自分たちのアイデンティティを形成する記憶を守る」という意志です。
まとめ:シャチホコが象徴する記憶の継承
小泉八雲旧居の庭に眠る苔むした小さな石のシャチホコは、単なる庭石ではありません。松江城という巨大な歴史のモニュメントから派生した記憶の断片であり、明治という激動の時代を証言する静かな語り部です。
2026年の朝ドラ「ばけばけ」は、江藤知事からヘブンへの贈り物というフィクションを通じて、この石像に新たな光を当てました。史実における籠手田安定とハーンの「鶯」を通じた交流もまた美しいですが、ドラマが描いた「シャチホコの継承」は文化というものが国境を越え血縁を超えて受け継がれていくダイナミズムを力強く表現していました。
松江城の天守には今も巨大な木造のシャチホコが宍道湖を見下ろしています。そしてその麓、旧居の庭では石のシャチホコが静かに土の匂いを嗅いでいます。天と地、木と石、城と庭。これらは対を成して八雲が愛した「神々の国」の面影を今に伝えているのです。










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