怪談「水飴を買う女」は、死してなお我が子を育てようとする母親の幽霊を描いた日本の伝統的な怪談であり、朝ドラ「ばけばけ」で描かれる小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の怪談文学とも深く関わる物語です。この怪談は「子育て幽霊」「飴買い幽霊」とも呼ばれ、400年以上にわたって日本各地で語り継がれてきました。恐怖よりも母性愛への感動を呼び起こすこの物語は、小泉八雲が「母の愛は死よりも強い」という名言を残したことでも知られています。
本記事では、怪談「水飴を買う女」の物語の全容から、京都や松江など各地に残る伝承の違い、中国古典にさかのぼる起源、そして朝ドラ「ばけばけ」で描かれる小泉八雲夫妻との関係まで、この怪談の奥深い世界を詳しく解説していきます。日本文化の死生観や母性愛の普遍性を知ることで、朝ドラをより深く楽しめるようになるでしょう。

怪談「水飴を買う女」とはどのような物語なのか
「水飴を買う女」は、日本の怪奇譚の中でも極めて特異な位置を占める怪談です。通常、幽霊や妖怪は生者に対する怨恨や祟りをもたらす恐怖の対象として描かれますが、この物語の幽霊は死してなお我が子を養育しようとする「母性愛の権化」として現れます。恐怖心よりも哀れみや感動を呼び起こすこの構造こそが、数百年にわたり日本人の心を捉え続けてきた最大の理由となっています。
深夜に飴屋を訪れる謎の女
物語の発端は、決まって深夜に訪れます。店じまいを終えた飴屋の雨戸を叩く音が響き、主人が戸を開けると、そこには青白い顔をして髪を乱した若い女が立っています。女は力のない、しかし切実な声で「飴をください」と懇願し、一文銭を差し出します。主人はその異様な風体に不審を抱きつつも、女の悲壮な様子に気圧されて飴を売ることになります。
この「一文銭」というディテールは物語において極めて重要な意味を持っています。この銭は多くの場合、三途の川の渡し賃として棺に納められた「六文銭」の一部であることが後に判明します。女は毎晩一文ずつ使い、六日間通い続けるのです。これは、死者が持ちうる全財産を子のために使い果たすという、自己犠牲の経済的な表現といえるでしょう。
銭が木の葉に変わる不思議
物語の転換点は、七日目の夜、あるいは翌朝に訪れます。女が支払ったはずの銭が、銭箱の中で「木の葉」や「樒(しきみ)の葉」に変化していることに主人が気づくのです。また別のパターンでは、七日目に銭が尽きた女が、代わりに自分の羽織や着物を差し出すこともあります。
ここで「樒」が登場することは象徴的な意味を持っています。樒は仏事や墓前に供えられる植物であり、その葉が貨幣として機能していたという事実は、女が「あちら側の住人」であることを決定づけます。また、着物を差し出す行為は、女が幽霊としてのアイデンティティである生前の衣服を剥ぎ取ってでも子を生かそうとする執念を描写しているのです。
墓場で発見される赤子の奇跡
不審に思った主人、あるいは近所の若者たちは、その夜、飴を買って帰る女の後をつけることにします。女は町外れの寂しい道を進み、墓地へと入っていきます。そして、新しい土饅頭(盛り土された墓)の前でふっと姿を消してしまいます。主人がその場所に近づくと、地中から微かな赤ん坊の泣き声が聞こえてくるのです。
寺の住職や村人を呼んで墓を掘り返すと、そこには死んだはずの女の遺体が、生まれたばかりの赤子を抱いていました。女の顔は安らかであり、赤子は女が買い与えた飴を舐めて命をつないでいたのです。飴の容器である茶碗や笹の葉が棺の中に散乱している様子が描かれることも多く見られます。
高僧への転生という聖なる結末
物語は単なる怪異の解明では終わりません。助け出された赤子は、飴屋や寺に引き取られて養育され、後に徳の高い僧侶となります。この「高僧になる」という結末は、死の穢れを伴う異常な出生を、聖性へと劇的に反転させる機能を持っています。母の執念は妄執ではなく、仏教的な慈悲として再解釈され、子供の非凡な運命を予兆するエピソードとして昇華されるのです。
京都「みなとや幽霊子育飴本舗」に残る450年の歴史
日本国内において、「水飴を買う女」の伝説を最も具体的に体感できる場所が京都です。ここでは物語が過去のものではなく、現在進行形の商行為や信仰として生き続けています。
創業450年を誇る老舗飴屋の由緒
京都市東山区、松原通に面した「みなとや幽霊子育飴本舗」は、創業450年以上、慶長4年(1599年)頃の創業と伝えられる老舗です。日本で「幽霊」を冠した屋号を持つ店舗はおそらくここだけであり、店の存在そのものが怪談の実在性を補強しています。
同店に伝わる由緒によれば、慶長4年、店先に毎夜飴を買いに来る女性がいました。主人が後をつけると、鳥辺山で姿を消したのです。その場所から赤子の泣き声が聞こえ、掘り起こすと飴をしゃぶる赤子が発見されました。この時助けられた赤子は8歳まで店で育てられ、後に立本寺の住職になったと伝えられています。
特筆すべきは、当時の「飴」の形態です。伝説では「水飴を箸に巻いて売っていた」とされており、現在は保存性を考慮して固形の飴として販売されています。その琥珀色の外見と、麦芽糖とザラメ糖のみで作られた素朴な味わいは、往時の面影を色濃く残しています。「優しい甘さ」「懐かしい味」「宝石のように透き通った琥珀色」と評されるこの飴は、味覚を通じて伝説を追体験させる装置として機能しているのです。
六道の辻という特別な場所の意味
「みなとや」が位置する「六道の辻(ろくどうのつじ)」という場所は、この怪談を成立させる上で不可欠な地理的背景を持っています。六道の辻は、平安京の東の葬送地である「鳥辺野(とりべの)」の入り口にあたります。かつて死者はここを通って埋葬地へと運ばれたため、この場所は「この世」と「あの世」の境界線として認識されていました。
近隣には、平安時代の官僚・小野篁(おののたかむら)が冥界に通うために使った井戸があるとされる六道珍皇寺や、地蔵信仰の拠点である西福寺があり、界隈全体が死生観に彩られた空間となっています。幽霊が飴を買いに現れるという現象は、この「境界領域」においてのみ許された、死者による越境行為としてリアリティを獲得しているのです。
立本寺と日審上人の実在する歴史
京都の伝承の最大の特徴は、助けられた赤子のその後が、実在の高僧と結び付けられている点にあります。その赤子は成長して出家し、日蓮宗の名刹・立本寺(りゅうほんじ)の第20世住職、霊鷲院日審上人(りょうじゅいんにっしんしょうにん)になったと伝えられています。
日審上人は、墓の中で生まれたことから「壺日審(つぼにっしん)さま」という異名を持ち、安産守護や立身出世の僧として信仰されてきました。立本寺の記録によれば、日審上人は寛文6年(1666年)に68歳で入寂したとされており、逆算すれば慶長年間の生まれとなり、みなとやの創業伝説と時代的に符合します。立本寺でも現在「幽霊子育飴」が授与されており、寺院と飴屋が双方向的に伝説を補強し合っているのです。
朝ドラ「ばけばけ」と小泉八雲が伝えた松江の怪談
京都が「物証」と「信仰」の地であるならば、島根県松江市は、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)によってこの怪談が「文学」へと昇華された地です。朝ドラ「ばけばけ」では、この小泉八雲と妻セツの物語が描かれています。
大雄寺に伝わる松江版の物語
松江市中原町にある大雄寺(だいおうじ)は、松江藩主・松平家の菩提寺の一つであり、威厳ある山門と静寂に包まれた境内を持つ寺院です。ここにも「飴を買う女」の伝説が根付いています。八雲は来日後最初に出版した著書『知られぬ日本の面影(Glimpses of Unfamiliar Japan)』の中で、この大雄寺の怪談を紹介しました。
物語の筋書きは京都のものと大差ありません。中原町の飴屋に毎晩、青白い顔の女が水飴を一厘買いに来ます。不審に思った飴屋が後をつけると、女は大雄寺の境内で姿を消します。墓を掘り起こすと、女の遺体の横で赤ん坊が水飴の入った茶碗を持って微笑んでいたというものです。八雲の記述は、松江の湿潤な空気感や、人々の信心深さを背景に、この怪異を美しく悲しい物語として描出しています。
「母の愛は死よりも強し」という名言の背景
八雲はこの怪談の結びとして、あまりにも有名な一文を残しました。「母の愛は、死よりも強いのである(A mother’s love is stronger than death.)」というこのフレーズは、八雲自身の個人的なトラウマと深く共鳴しています。
八雲は幼少期にギリシャ人の母ローザと生き別れ、二度と再会することなく異国で成長しました。母の愛を知らず、孤独の中にあった八雲にとって、死してなお子供を育てようとする幽霊の姿は、恐怖の対象ではなく、彼が焦がれてやまなかった「永遠の母性」の具現化でした。彼がこの怪談に惹かれたのは、単なる異国趣味ではなく、自身の根源的な欠落を埋める救済の物語を見出したからであると考えられます。現在、大雄寺の山門前にはこの言葉を記した看板が設置され、八雲の想いとともに伝説を伝えています。
妻・小泉セツとの共同作業が生んだ怪談文学
八雲がこの怪談に出会えたのは、妻・小泉セツの存在あってこそでした。松江の没落士族の娘であるセツは、八雲の「日本の不思議な話を聞きたい」という要望に応え、地元の民話や怪談を収集し、独特の語り口で語り聞かせました。この語り口は「ヘルンさん言葉」と呼ばれる独自のピジン言語であったとされています。
朝ドラ「ばけばけ」では、この夫婦の物語が描かれています。「飴を買う女」のエピソードは、二人の精神的な結びつきを象徴する重要な要素となっています。セツが語る怪談を通じて、八雲は日本の精神文化の深層に触れ、セツは八雲の感性を通じて、見慣れた地元の伝承の普遍的な美しさを再発見したのです。二人の共同作業の結晶こそが、今日私たちが読む『怪談』文学なのです。
日本各地に残る「子育て幽霊」伝説の地域差
「子育て幽霊」伝説は、京都や松江以外にも日本全国に点在しています。それぞれの地域で、助けられた子供の運命や、物語の細部に興味深い変異が見られます。
福岡・明光寺の鉄相禅師と「火除け」の霊力
福岡県福岡市博多区にあった明光寺の伝説では、助けられた子供は「鉄相(てつそう)禅師」という名の僧侶となりました。彼は成長して明光寺の第17代住職となり、名筆家として名を馳せたと伝えられています。
この伝承のユニークな点は、成長後のエピソードに「天狗」が登場することです。ある晩、天狗が夢に現れ、宝満山での天狗たちの競書会のために、鉄相禅師の「腕」を借りたいと申し出ます。禅師がこれに応じると、天狗は礼として禅師の書に「火除け」の術をかけました。それ以来、「鉄相禅師の書がある家は火事にならない」という信仰が博多の町に広まったとされています。「水飴」によって繋がれた命が、成長して「火」を制する霊力へと転化しているという、水から火へという属性の変化は民俗学的にも興味深い視点を提供しています。
金沢・西方寺の「飴買い地蔵」という変異
石川県金沢市の寺町寺院群にある西方寺(さいほうじ)の伝承では、物語の主役が幽霊から「地蔵」へと交代しています。不治の病で亡くなった身重の女性を手厚く葬ったところ、墓から赤子の泣き声が聞こえます。確認すると、墓のそばに飴が置かれていました。しかし、飴を買っていたのは女性の幽霊ではなく、女性を哀れに思った「お地蔵様」であったことが判明するのです。
この地蔵は「飴買い地蔵」と呼ばれ、後にその身を削って煎じて飲むと子供の病気が治るという信仰を集め、多くの人々に削られて細くなってしまったと伝えられています。この変異は、死者の穢れや怨念を極力排除し、仏教的な「慈悲」の側面を前面に押し出したものといえるでしょう。幽霊という不安定な存在ではなく、地蔵菩薩という確固たる信仰対象が育児を代行することで、救済の物語としての安定感を高めているのです。
長崎・光源寺と茨城・頭白上人の伝説
長崎県長崎市の光源寺には、「産女(うぶめ)の幽霊」の像と掛け軸が伝わっています。ここでは、幽霊が飴を買ったお礼として、水が枯れない井戸の場所を教えたというエピソードが付加されている場合もあります。毎年8月16日に幽霊像が開帳され、法要が営まれるなど、地域の年中行事として定着している点が特徴です。幽霊は祟る存在ではなく、地域社会に恵みをもたらす守護者としての側面を帯びています。
茨城県かすみがうら市には、「頭白(ずはく)上人」の伝説があります。殺された母親から土中で生まれ、幽霊に育てられたため、生まれつき髪が白かったとされています。彼は天台宗の名僧となり、母の菩提を弔ったと伝えられています。また、静岡県湖西市の本興寺の日観上人や、曹洞宗の通幻寂霊など、各地の高僧の伝記に同様の「死後出産・墓場育ち」のモチーフが組み込まれています。これは高僧の非凡な霊力を、常人とは異なる出生の秘密によって裏付けようとする意図が読み取れます。
怪談「水飴を買う女」の起源と歴史的背景
この怪談はいつ、どこから来たのでしょうか。その起源を探ると、海を越えた中国の怪談と、日本古来の妖怪伝承の融合が見えてきます。
中国の古典『夷堅志』に見る原型
日本の「飴を買う女」の直接的なルーツとして有力視されているのが、中国・南宋時代(12世紀から13世紀)に洪邁(こうまい)が編纂した志怪小説集『夷堅志(いけんし)』に収録されている「餅を買う女」という話です。
物語の内容は驚くほど酷似しています。妊娠中に死亡した女性が埋葬された後、赤子を抱いた女が毎日餅屋に餅を買いに来ます。怪しんだ餅屋が女の裾に赤い糸を縫い付け、それを辿ると糸は墓の上にかかっていました。墓を暴くと、死んだ女の顔色は生けるがごとくで、赤子が棺の中で生きていたというものです。この「死後出産」と「幽霊による食料調達」という骨格が日本に伝来し、日本の食文化(餅から飴へ)や通貨制度(六文銭)に合わせて翻案されたと考えられています。
日本古来の「産女」信仰との融合
日本には古くから、難産で死んだ女性が妖怪化する「産女(うぶめ)」の伝承がありました。『今昔物語集』や『百物語評判』に登場する産女は、血にまみれた腰巻姿で現れ、通行人に「子を抱いてくれ」と強要し、抱くと赤子が岩や落ち葉に変わる、あるいは取り殺されるという、恐怖の対象として描かれていました。
しかし、「飴を買う女」の物語において、産女の性質は劇的に変化しています。ここでは、産女は他害を加える妖怪ではなく、ひたすらに子を守ろうとする慈愛の存在です。これは、江戸時代にかけての地蔵信仰の普及や、死者への供養観の変化に伴い、恐ろしい「祟る霊」が、哀れむべき「救う霊」へと意味づけを変えていった過程を示しています。物語の中で幽霊の着物が濡れている描写は、かつての産女の「血の穢れ」や「水死」のイメージを継承しつつも、それを雨や夜露によるものとして叙情的に処理しているのです。
なぜ「水飴」でなければならなかったのか
なぜ幽霊が買うのは「水飴」でなければならなかったのでしょうか。それは、当時の育児において水飴が極めて現実的な「母乳の代替品」だったからです。
江戸時代から明治にかけて、母乳が出ない場合や母親が不在の場合、庶民は「もらい乳」をするか、米や麦から作った「水飴」や重湯を乳児に与えていました。水飴は消化が良く栄養価も高いため、乳児の生存率を高める貴重な栄養源でした。熊本の「高瀬飴」や大分の「宇佐飴」など、九州地方では現在でも「飴を食べると母乳の出が良くなる」「産婦の見舞いに飴を贈る」という風習が残っています。
つまり、幽霊が水飴を買い求めたのは、単に子供をあやすためのお菓子としてではなく、文字通り「命をつなぐための糧」として選択したのです。この切実なリアリティが、聴衆、特に子供を持つ母親たちの共感を呼び、物語の説得力を高めてきました。
医学的視点から見る「棺内分娩」という現象
現代の医学的・法医学的視点からこの怪談を分析すると、「棺内分娩(Coffin Birth)」という現象がその背景にあることが浮かび上がります。
死後に胎児が娩出されるメカニズム
「棺内分娩」とは、妊婦が死亡した後、遺体の腐敗進行に伴って腹腔内にガスが発生し、その圧力によって子宮が圧迫され、胎児が体外へ押し出される現象を指します。
土葬が一般的であった時代、何らかの理由で墓が開かれた際、棺の中で母親の股間に赤子が出ている状態が目撃されることがありました。医学的知識のない当時の人々にとって、これは「死んだ後に母親が子供を産んだ」という奇跡、あるいは怪異として解釈されたに違いありません。
科学と物語の交差点
科学的に見れば、押し出された胎児は死産であるか、仮に生きて娩出されたとしても、密閉された棺の中で酸素も保温もなく数日間生存することは不可能に近いものです。しかし、物語においては「赤子は生きていた」とされます。これは、おぞましい「腐敗とガスによる現象」を、人々が受け入れ可能な「母の愛による奇跡」へと物語化することで、死の恐怖を中和しようとした文化的知恵であるともいえます。
「顔色は生けるがごとく」という描写も、実際には死蝋化や腐敗の過程で見られる現象を、美的に解釈した可能性があります。怪談「水飴を買う女」は、直視しがたい死の現実を、美しい物語で覆い隠す役割を果たしていたのです。
落語やポップカルチャーに受け継がれる「水飴を買う女」
この怪談は、口承文芸にとどまらず、落語や現代のマンガ・アニメなど、様々なメディアに移植され、その都度新たな解釈を加えられてきました。
上方落語「幽霊飴」のユーモア
上方落語には、この怪談を題材にした「幽霊飴」という噺があります。落語版の最大の特徴は、サゲ(落ち)にあります。物語の大部分は怪談として真面目に進行しますが、最後に飴屋が赤子を助け出し、その子が後に高僧になったことを語った後、「なるほど、高台寺(こうだいじ)だけに、子を大事(こをだいじ)にした」という地口で締めくくられます。
また、場所設定も六道の辻から高台寺の墓地へと変更されている場合があります。これは、怪談の持つ湿っぽい恐怖や悲哀を、最後に笑いで解放させる落語特有の演出であり、関西地方におけるこの物語の受容形態の一端を示しています。
『ゲゲゲの鬼太郎』の原点としての子育て幽霊
現代において、この怪談の遺伝子を最も色濃く受け継いでいるのが、水木しげるの国民的漫画『ゲゲゲの鬼太郎』です。主人公・鬼太郎の誕生エピソードは、まさに「子育て幽霊」そのものとなっています。
紙芝居『墓場鬼太郎』や漫画の初期エピソードにおいて、鬼太郎は埋葬された母親の墓から自力で這い出てきます。水木しげるは、既存の「飴買い幽霊」の伝承をベースに、死の淵から蘇るダークヒーローとしての鬼太郎を構想したと明言しています。
京都の「みなとや幽霊子育飴本舗」は、水木しげるも訪れた場所であり、鬼太郎のモデルとなった場所としてファンに知られています。ここでは、伝統的な怪談が現代のキャラクター文化と接続され、新たな聖地巡礼の対象となっているのです。
怪談「水飴を買う女」が現代に伝えるもの
「水飴を買う女」は、単なる古い怪談ではありません。中国の説話を起源としつつも、日本の風土における仏教観、葬送儀礼、育児の実情、そして死生観を重層的に取り込んで独自に発展した、文化的記憶装置といえます。
物理的な証拠としての「飴」、実在する「寺院」の由緒、そして「高僧」への成長というサクセスストーリーを伴うことで、この物語は死の恐怖や穢れを乗り越え、生の希望を語る物語として400年以上も生き続けてきました。小泉八雲が「母の愛は死よりも強い」と評したように、この怪談の本質は、あらゆる理不尽な死をも凌駕する、人間の根源的な絆への賛歌にあるのです。
朝ドラ「ばけばけ」では、小泉八雲と妻セツの夫婦愛が描かれます。「飴を買う女」の怪談は、セツが語り、八雲が文学へと昇華させた二人の共同作業の結晶です。この怪談を知ることで、ドラマをより深く味わうことができるでしょう。そして、この物語が400年以上も語り継がれてきた理由は、母性愛という人類普遍のテーマが、時代を超えて人々の心を打ち続けているからにほかなりません。










コメント