朝ドラ「ばけばけ」に登場するサワには、特定の歴史的モデルは存在しません。サワは、明治時代の松江に生きた労働者階級の女性たちの姿を投影して創作されたオリジナルキャラクターです。円井わんさんが演じるこのキャラクターは、ヒロイン・松野トキの親友として物語に重要な彩りを添えており、当時の女性たちが直面していた貧困や労働の現実を体現する存在として描かれています。
2025年後期からNHKで放送されている連続テレビ小説「ばけばけ」は、明治時代の島根県松江を舞台に、怪談を愛する夫婦の絆を描いた作品です。ヒロインの松野トキは実在の人物である小泉セツをモデルとしていますが、その親友サワについては「このキャラクターのモデルは誰なのか」という疑問の声が多く寄せられています。本記事では、サワというキャラクターの背景にある歴史的・社会的な意味合いを深く掘り下げながら、なぜ彼女がオリジナルキャラクターとして創作されたのかを詳しく解説していきます。

サワは実在の人物ではなくオリジナルキャラクター
サワというキャラクターについて結論を申し上げますと、小泉セツや小泉八雲に関する一次資料、そして「ばけばけ」の公式発表を精査した限りにおいて、ヒロインの親友として「サワ」という名前の特定の歴史上の人物が実在したという記録は確認されていません。小泉セツの生涯を綴った自伝的記録「思ひ出の記」や、子孫による回想録においても、セツの少女時代の友人として具体的に言及される人物は極めて限定的となっています。
このことから、ドラマにおけるサワは、特定の個人をモデルにしたキャラクターではなく、当時の松江に生きた複数の女性たちの実像を投影し、ヒロイン・トキの運命と対比させるために創作された複合的な人物像であると考えられます。脚本を手がけるふじきみつ彦氏は、単なる偉人の伝記ドラマではなく、西洋化という近代化の奔流の中で取り残され、埋もれていった「名もなき人々」の哀歓に光を当てることを意図しており、サワはまさにその象徴的な存在として配置されているのです。
サワが象徴する明治の労働者階級のリアリティ
特定のモデルが存在しないからといって、サワというキャラクターが非現実的であるわけではありません。むしろ、彼女の設定や行動には、当時のセツを取り巻く過酷な社会環境と、明治期の地方都市における女性の労働実態が色濃く反映されており、極めてリアルな存在といえます。
織物工場と長屋での厳しい暮らし
ドラマにおけるサワは、トキと共に長屋で暮らし、工場で働く労働者として描かれています。これは史実のセツが経験した機織りの労働に基づいた設定です。明治維新による秩禄処分で家禄を失った士族の娘たちは、生きるために誇りを胸に秘めつつ、製糸工場や織物工場で働く道を選ばざるをえませんでした。
サワが口にする「長屋を出たい」という切実な願いは、当時の下層労働者が直面していた貧困と、そこからの脱出願望を象徴しています。没落したとはいえ士族の出身であるトキに対し、サワはおそらくより庶民的な境遇にあると考えられ、トキが抱く怪談への興味や夢見がちな部分とは対照的な、現実的な生存戦略を体現するキャラクターとして配置されています。
当時の織物工場での労働は過酷なものでした。冬の冷たい水に手をさらしながら、朝から晩まで機を織る日々が続きました。史実のセツも11歳頃から家族を養うために機織りの仕事に従事しており、セツが作成した「織物見本帳」が現存しています。この見本帳には18ページにわたり200種類もの布切れが貼られており、没落した士族の娘がプライドを捨てて労働者として懸命に生きた証として、貴重な歴史資料となっています。
教育による立身出世への希望の道
ドラマのあらすじ情報において、非常に興味深い展開が示唆されています。それは、サワが後に小学校で授業を教えることになるという点です。明治時代は、近代的な学校制度が整備され始めた時期であり、女性にとって教師になることは、貧困から脱出し、社会的に自立するための数少ない希望に満ちたキャリアパスでした。
工場労働者から教師へというサワの変遷は、明治という時代が持っていた努力による階層移動の可能性を描き出す重要なサブプロットとなっています。トキが国際結婚と文学という特異な道で世界と繋がっていくのに対し、サワは教育と地域社会という地に足のついた道で近代化に貢献していきます。この二人の対比は、当時の女性の生き方の多様性を示しており、視聴者に深い感銘を与える構成となっています。
サワと共に描かれる遊女「なみ」の存在
サワと共に長屋からの脱出を模索する人物として、さとうほなみさんが演じる「なみ」というキャラクターが登場します。なみは遊女、あるいは元遊女としての設定が見受けられます。明治期の貧困は、女性を工場労働か、あるいは花柳界へと押しやる構造的な問題を含んでいました。
サワがなみと共に描かれることは、当時の女性が直面していた選択肢の少なさと、過酷な境遇にある女性同士の連帯感を示唆しています。史実のセツもまた、一歩間違えればそのような境遇に陥りかねない極貧の中にいました。サワやなみの存在は、セツ(トキ)がもしハーンと出会わなければ辿っていたかもしれない、もう一つの人生を暗示する鏡のような役割を果たしているとも読み解けます。
彼女たちは、ヒロイン・トキの物語を単なるシンデレラストーリーに終わらせず、その背後にある時代の厳しさを視聴者に想起させるための重要な存在なのです。明るく前向きなトキの姿が際立つのも、サワやなみといったキャラクターが当時の社会の現実を体現しているからこそといえます。
ヒロイン・松野トキのモデルとなった小泉セツの生涯
サワというキャラクターをより深く理解するためには、ヒロインのモデルである小泉セツの生涯を知ることが不可欠です。セツの人生そのものがドラマ以上に劇的であり、当時の松江の歴史的変遷を体現しています。
松江藩上級士族の娘として生まれて
小泉セツは、慶応4年(1868年)2月4日、松江藩の上級士族・小泉湊と母・チエの次女として生まれました。実家の小泉家は、松江藩で代々「番頭」を務める家柄で、禄高は三百石を有していました。これは藩内の侍約1,000人の中でも「上士」に分類されるエリート階級であり、組士50人を統率する立場にありました。
さらに母チエの実家である塩見家は、小泉家よりもさらに家格が高く、チエの父は松江藩の家老・塩見増右衛門でした。塩見家は千四百石取りという破格の待遇を受ける名家であり、松江城の二の丸御殿のすぐ前に広大な屋敷を構えていました。セツは、まさに松江藩の支配階級の血を引く深窓の令嬢として生を受けたのです。
祖父の壮絶な「陰腹」がもたらした武士道精神
セツの人格形成において決定的な影響を与えたのが、母方の祖父・塩見増右衛門の死に様です。当時の松江藩主・松平斉斎は、酒と女におぼれ、相撲や鷹狩りに夢中になって藩政を顧みない人物でした。増右衛門は家老として、この振る舞いを三度にわたり諫めましたが、藩主は聞き入れませんでした。
そこで増右衛門は、三度目の諫言に臨む際、自宅で密かに腹を十文字に切り、傷口を白木綿で固く巻き上げて出血を抑える「陰腹」を行いました。彼は平然とした顔で登城し、主君の御前で最後の忠言を述べた後、家老の詰所に戻って絶命しました。死をもって主君を諫めるというこの凄絶な行為は、松江の武士たちの間で語り草となり、セツの心にも義のためには命をも惜しまないという強烈な武士道精神を刻み込みました。この精神的遺産こそが、後の極貧生活や、異人との結婚という困難な道を選ぶ際の、セツの精神的支柱となったのです。
稲垣家への養子縁組と物語好きな少女時代
名門に生まれたセツですが、その運命は出生直後から大きく動きます。生後わずか7日で、小泉家の遠縁にあたる稲垣家の養女に出されました。稲垣家は禄高百石の「並士」で、家格としては小泉家より下でしたが、子供がいなかったため、次に小泉家に子が生まれたら養子にもらい受けるという約束が事前に交わされていました。
稲垣家の人々、養父・金十郎と養母・トミ、そして隠居していた養祖父・万右衛門は、格上の家から来たセツを「オジョ(お嬢)」と呼び、実子以上に溺愛しました。特に養母のトミは、出雲大社の上官(高級神官)を務める高浜家の出身であり、出雲神話や民話に精通していました。トミや物語好きの使用人たちが語る不思議な話に囲まれて育ったことが、セツの豊かな想像力を育み、後の「怪談」誕生の土壌となりました。セツは、幼い頃から大人を見つけては「お話ししてごしない(お話ししてください)」とせがむ、物語が大好きな少女でした。
没落と極貧の青春時代を経験して
明治維新という時代の奔流は、士族の特権を剥奪し、彼らの生活を根底から破壊しました。稲垣家もその例外ではありませんでした。家禄を失った稲垣家は困窮し、養父たちは商売に手を出しましたが、慣れない「武士の商法」で失敗を重ね、家産を傾けてしまいました。
セツは非常に聡明で学問を好む少女であり、小学校での成績も優秀でしたが、家計を支えるために進学を断念せざるを得ませんでした。11歳頃から、彼女は家族を養うために機織りの仕事に従事することになります。これがまさに、ドラマでサワが経験している労働と同じものであり、サワというキャラクターがセツの「もう一つの可能性」を体現している理由がここにあります。
最初の結婚の破綻と再出発
1886年(明治19年)頃、18歳になったセツは、鳥取の士族・前田為二を婿養子に迎えて結婚しました。しかし、この結婚は長くは続きませんでした。稲垣家のあまりの貧困と、没落士族特有の将来への閉塞感に耐えきれず、夫・為二は家を出て行ってしまいました。彼は二度と戻らず、セツは22歳で正式に離婚することになりました。
夫に逃げられるという辛い経験を経て、セツは稲垣家を離れ、実家の小泉家に戻ることになりました。しかし、実家の小泉家もまた困窮しており、セツには再び家計を支えるという重責がのしかかりました。この時期のセツは、将来への希望を見失いかけていたかもしれません。しかし、運命の歯車は、予想もしない方向へと回り始めます。
レフカダ・ヘブンのモデル・ラフカディオ・ハーンとの出会い
ドラマでトミー・バストウさんが演じるレフカダ・ヘブンのモデルは、ラフカディオ・ハーン(後の小泉八雲)です。彼の背景を知ることは、なぜ彼がセツという女性を必要としたのかを理解する上で不可欠です。
彷徨える魂の遍歴をたどって
ハーンは1850年、ギリシャのレフカダ島で、アイルランド人の父チャールズと、ギリシャ人の母ローザの間に生まれました。彼の名前「パトリック・ラフカディオ」は、アイルランドの守護聖人と、生まれ故郷の島名に由来しています。しかし、彼の幼少期は幸福とは程遠いものでした。両親の離婚により母とは2歳で生き別れ、父も再婚して彼を顧みず、彼は大富豪の叔母に引き取られましたが、やがてその叔母も破産しました。16歳の時には、遊戯中の事故で左目を失明するという悲劇にも見舞われます。
この身体的欠損は、彼に強烈な劣等感を植え付けました。彼が残した肖像画や写真のほとんどが、失明した左目を隠すように右側の顔を向けているのはそのためです。19歳で単身アメリカに渡ったハーンは、極貧の底辺労働から這い上がり、ジャーナリストとして文名を高めましたが、西洋社会の物質主義や人種差別に対する嫌悪感は募るばかりでした。彼は失われた純粋な精神を求めて、1890年(明治23年)、東洋の島国・日本へと渡ったのです。
松江での「ヘルン先生」としての日々
来日したハーンは、島根県尋常中学校(現在の松江北高校)の英語教師として松江に赴任しました。当時の松江は、鉄道も通っていない陸の孤島であり、それゆえに江戸時代の面影と、古き良き日本の精神風土が色濃く残っていました。ハーンはこの街を「神々の国の首都」と呼び、深く愛することになります。
松江の人々は、この風変わりな外国人を「ヘルンさん」と呼び、親しみを込めて接しました。ドラマの中で、ヘブンが松江に到着した際に町中の人が彼を一目見ようと集まるシーンが描かれていますが、当時の地方において西洋人は極めて稀な存在であり、好奇心の対象であると同時に、恐怖の対象でもありました。「異人さんにさらわれる」「生き血を吸われる」といった迷信も、当時はまだ本気で信じられていたのです。
住み込み女中としてのセツの決断
病に倒れたハーンの身の回りの世話をするため、周囲の斡旋により白羽の矢が立ったのが、出戻りで実家にいたセツでした。明治24年(1891年)、セツはハーンの家の住み込み女中として働き始めます。当時、若い未婚の女性が外国人の家に住み込むことは、「ラシャメン(洋妾)」と後ろ指を指されかねない、社会的リスクの高い行為でした。
しかし、セツは家族を養うため、そして何より、幼い頃に見た外国人から優しくされた記憶があり、外国人に対する偏見を持っていなかったため、この仕事を引き受けました。ハーンは、セツの献身的な介護と、彼女が持つ武士の娘としての凛とした気品、そして何より彼女が語る物語の面白さに魅了されました。二人の関係は、雇用主と使用人という枠を超え、急速に精神的なパートナーシップへと発展していきました。そして1891年のうちに、二人は正式に結婚し、夫婦となったのです。
言葉の壁を超えた「ヘルンさん言葉」という愛の共通言語
「ばけばけ」の最大の見どころであり、ドラマの中核をなすのが、言葉の壁を超えた夫婦のコミュニケーションです。英語が話せないセツと、日本語の読み書きが不自由なハーン。二人はどうやって意思疎通を図っていたのでしょうか。そこで自然発生的に生まれたのが、「ヘルンさん言葉」と呼ばれる独自の言語体系です。
二人だけの言語の構造と特徴
この言葉は、日本語の単語を使いながら、文法や語順を簡略化し、英語的な構造を取り入れたピジン言語(接触言語)の一種でした。助詞の「てにをは」を省き、単語を並べる形式で、「私、パン、食べる」のような構造になります。動詞の活用も簡略化され、現在形や原型を多用し、複雑な活用を避けました。また、日本語特有の複雑な敬語体系を使わず、対等でストレートな表現を用いていました。
記録に残る「ヘルンさん言葉」の具体例を挙げると、「あなた、坊さんでない、むつかしいですね」(あなたは僧侶ではないから、この仏教の理屈を理解するのは難しいですね)、「私、願うです」(I hope / I wish…)、「ムラサキ、四ツ、アカ、二ツ、サキマシタヨ」(庭の朝顔が、紫は4つ、赤は2つ咲きましたよ)といった表現が使われていました。
この言葉は、第三者が聞けば奇妙で片言の日本語に過ぎませんでしたが、二人にとっては、互いの心と魂を直接触れ合わせるための、世界でたった一つの愛の言語でした。
「怪談」誕生の裏側にあったセツの貢献
これまで、ハーンの代表作である「怪談」や「知られぬ日本の面影」は、ハーン個人の才能によるものと見なされがちでした。しかし、近年の研究では、これらの作品はセツとの共著に近いものであると再評価されています。セツは単なる妻ではなく、ハーンの文学的創造における不可欠なリテラリー・アシスタント(文学的助手)だったのです。
ハーンは日本語の古文書をスラスラと読むことはできませんでした。そこで、怪談の創作にあたっては、セツが古本屋を巡って怪談本を探し出し、あるいは近所の古老や親戚から不思議な話を聞き集めました。セツは集めた話をそのまま伝えるのではなく、一度自分の中で消化し、物語の情景や感情を理解した上で、ハーンに伝わる平易な「ヘルンさん言葉」に翻訳・翻案して語りました。ハーンはセツの語りを聞きながら、「その時、幽霊はどんな声を出した?」「空の色はどうだった?」と執拗に質問を重ね、情景の細部を埋めていき、セツの語りから得たイメージを基に、独自の文学的感性で英語の物語として再構築したのです。
「鳥取の布団」のエピソードに見る二人の絆
ハーンがセツの才能を確信した決定的な瞬間として、「鳥取の布団」のエピソードが伝えられています。ある時、セツが鳥取の宿で聞いた「寒さで死んだ旅人の幽霊が、布団を借りに来る」という話をハーンに語りました。セツの臨場感あふれる語り口を聞いたハーンは、「あなたは私の手伝いができる人です!」と叫び、狂喜したといいます。この瞬間、セツは単なる世話係から、ハーンの創作の源泉(ミューズ)へと昇華したのです。
「雪女」や「耳なし芳一」といった有名な怪談も、セツの語りがあってこそ生まれた作品です。「耳なし芳一」の話をセツが語った際、感情移入したハーンは、「芳一、芳一」と主人公の名前を呼びながら涙を流したと伝えられています。セツの語りがいかにハーンの琴線に触れるものであったかを物語る逸話です。
「ばけばけ」というタイトルに込められた多義的な意味
「ばけばけ」というタイトルには、妖怪や怪談を意味する「化け物」のニュアンスと、激変する時代の中で人々が新たな自分へと「化ける(変身する)」という意味が込められていると解釈できます。サワというキャラクターは、まさにこの「化ける」というテーマを体現する存在といえます。
工場労働者から教師へと変身するサワの姿は、明治という激動の時代において、人々が古い殻を破り、新しい自分へと成長していく姿を象徴しています。一方のトキは、没落士族の娘から、異国の作家の妻、そして世界的な文学作品の共同制作者へと化けていきます。二人の「化け方」は異なりますが、どちらも困難な時代を生き抜こうとする女性の強さを表現しています。
松江という舞台が物語にもたらす深み
ドラマの舞台となる明治20年代の松江は、近代化の波が押し寄せつつも、江戸時代の城下町の風情を色濃く残していました。宍道湖に沈む夕日の美しさ、国宝・松江城の威容、そして街中に溢れる神社仏閣。ハーンが「神々の国の首都」と呼んだこの街には、目に見えない霊的な存在が日常生活に溶け込んでいました。
一方で、ドラマに登場する長屋や没落士族の屋敷は、この美しい風景の裏にある、近代化から取り残された地方都市の貧困と停滞を描き出しています。サワやなみが暮らす長屋は、美しい自然と厳しい現実のコントラストを象徴する場所であり、物語に深みを与えています。
ドラマ内で取り上げられる怪談や伝説には、実在の場所が関連しています。松江松平家の菩提寺にある月照寺の大亀は、「夜な夜な動き出して暴れるため、背中に石碑を乗せて封印された」という伝説があり、ハーンもこれを愛しました。また、松江城の近くにあった小豆とぎ橋では、「ここで謡をうたうと、女の幽霊が現れる」という禁忌があり、ハーンはあえてそこで謡をうたい、幽霊を待ち受けたというエピソードがあります。
セツとハーンのその後の人生
1896年(明治29年)、ハーンは日本国籍を取得し、正式に「小泉八雲」となりました。この「八雲」という名は、彼が愛した出雲の枕詞「八雲立つ」に由来します。その後、ハーンの東京帝国大学での職が決まり、一家は東京の西大久保に移住しました。彼らはここで、3男1女(長男・一雄、次男・巌、三男・清、長女・寿々子)に恵まれ、穏やかな家庭生活を営みました。
1904年(明治37年)、ハーンは心臓発作により54歳で急逝します。セツは36歳という若さで未亡人となりました。夫の死後、セツは悲しみに暮れる暇もなく、4人の子供を育て上げるために奮闘しました。彼女は夫との思い出を後世に残すため、「思ひ出の記」を執筆しました。この本は、偉大な文学者としてではなく、家庭人としてのハーンの素顔を生き生きと伝えており、現在でもハーン研究の第一級資料とされています。
セツとハーンの血脈は、現在に至るまで脈々と受け継がれています。長男・小泉一雄は父の思い出を綴った随筆家として活動し、三男・小泉清は画家として才能を発揮しました。曾孫の小泉凡氏は民俗学者であり、現在、小泉八雲記念館(松江市)の館長を務めており、ハーンの精神(オープン・マインド)を現代に伝える語り部として、精力的に活動しています。
サワというキャラクターが「ばけばけ」にもたらす意義
本記事の分析を通じて、朝ドラ「ばけばけ」におけるサワというキャラクターは、特定の歴史的モデルを持たないものの、明治という時代を懸命に生きた「名もなき労働者女性たち」の象徴として、極めて重要な役割を担っていることが明らかになりました。
サワの存在は、ヒロイン・トキが歩む国際結婚と文学という道がいかに特異で冒険的なものであったかを際立たせると同時に、当時の女性たちが直面していた貧困、労働、自立という普遍的なテーマを物語に織り込むためのアンカーとして機能しています。サワは単なる脇役ではなく、明治という時代の光と影の両面を視聴者に伝えるために欠かせないキャラクターなのです。
「ばけばけ」は、妖怪や幽霊といった異界を通して、人間の心の奥底にある優しさや悲しみを描き出す物語です。セツとハーン、そしてサワたちが織りなす人間模様は、現代を生きる私たちにも、他者(異文化)を理解することや困難な時代を生き抜くことの意味を問いかけてきます。サワというキャラクターを通じて、視聴者は明治という時代の女性たちの生き様に思いを馳せることができるのです。










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