朝ドラ「ばけばけ」小泉八雲が好んだ食事とは?鰻からプラムプディングまで

朝ドラ「ばけばけ」小泉八雲が好んだ食事とは?鰻からプラムプディングまで

朝ドラ「ばけばけ」で描かれる小泉八雲が好んだ食事とは、妻セツが作るプラムプディングや鯛のフライといった西洋料理、焼津で愛した鰻の蒲焼、そしてニューオーリンズ時代に魅了されたガンボなどのクレオール料理です。2025年度後期のNHK連続テレビ小説「ばけばけ」では、主人公ヘヴン(小泉八雲)の食卓を通じて、明治期における異文化交流の機微が丁寧に描かれています。本作において「食」は単なる背景ではなく、登場人物の心情や文化の衝突と和解を象徴する重要なモチーフとして機能しており、視聴者の間で大きな話題となっています。この記事では、ドラマで話題となった食事シーンの詳細から、実在した小泉八雲の食の好み、そして現代の松江で楽しめる「八雲グルメ」まで、小泉八雲と食にまつわる世界を余すところなくお伝えします。

朝ドラ「ばけばけ」小泉八雲が好んだ食事とは?鰻からプラムプディングまで
目次

朝ドラ「ばけばけ」とは

NHK連続テレビ小説の第113作目となる「ばけばけ」は、松江の没落士族の娘・松野トキと、ギリシャ出身のアイルランド人英語教師・ヘヴン(ラフカディオ・ハーン、のちの小泉八雲)の物語を描いた作品です。本作は、急速に近代化する明治日本を舞台に、異文化間の出会いと葛藤、そして愛の形を「食」という身近な視点から再構築しています。ヒロインの松野トキを髙石あかりが、ヘヴンをトミー・バストウが演じており、物語の中で二人が織りなす食卓の風景は、視聴者に強い印象を残しています。

ドラマで話題となった「甘くない小豆雑煮」

「ばけばけ」において、初期のエピソードで視聴者の度肝を抜いたのが「小豆雑煮」の存在でした。2025年12月8日の放送回において、ヒロインの松野トキとヘヴンが、生瀬勝久演じる花田平太が営む「花田旅館」へ年始の挨拶に訪れた際、角盆に載せられて供されたのがこの雑煮です。

一般的な視聴者、特に関東や関西の都市部に住む人々にとって、小豆をふんだんに用いた汁物は「おしるこ」や「ぜんざい」といった甘味を即座に連想させます。ドラマ内の映像においても、その赤黒い小豆の色合いと、浮かべられた餅のコントラストは、一見すると正月の甘いデザートのように映りました。しかし、劇中でこの雑煮が「甘くない」ものであることが強調されると、SNS上では驚きと戸惑いの声が殺到しました。「味が想像できない」「絶対におしるこだと思ったのに、塩味なのか」といったコメントが飛び交い、この一皿がドラマの「つかみ」として強力に機能したことがうかがえます。

この「甘くない小豆雑煮」は、単なる奇をてらった演出ではなく、島根県、特に出雲地方に実在する食文化を忠実に反映しています。出雲地方の雑煮は地域によって多様ですが、すまし汁仕立てや、小豆を用いた汁が広く食べられています。重要なのは、小豆を用いる場合でも、砂糖を大量に入れた甘味としてではなく、あくまで食事としての塩味や醤油味で調味される場合があるという点です。

ドラマ制作陣がこの料理に付与した緻密な「裏設定」も興味深いものとなっています。舞台となった「花田旅館」はもともと団子屋から転業したという背景設定を持っています。団子屋であったからこそ、大量の小豆を扱うことに長けており、それが旅館の正月料理としての「小豆雑煮」に結実したという必然性が、物語の細部に宿っているのです。

ヘヴンが通い詰めた「山橋西洋料理店」

ドラマ中盤で描かれるのは、和食中心の生活に馴染もうとしつつも、故郷の味や西洋的な刺激を求めずにはいられないヘヴンの葛藤と、それを巡る夫婦のドラマです。物語の中で、ヘヴンは妻であるトキに対して「錦織との打ち合わせがある」と嘘をつき、こっそりと「山橋西洋料理店」に通い詰めていました。柄本時生演じる山橋がシェフを務めるこの店で、ヘヴンは和食では得られない肉料理やビール、パンといった「西洋の味」を堪能していたのです。

この行動は、単なる「つまみ食い」以上の意味を持ちます。当時の松江において、外国人が完全な日本式の生活、特に魚と野菜中心の粗食に完全に適応することは、肉体的にも精神的にも相当なストレスを伴うものでした。SNS上の視聴者からも、「魚やしじみ汁ばかりでは西洋人には辛いだろう」「肉を食べさせてあげて」といったヘヴンへの同情論が湧き起こりました。ヘヴンにとって西洋料理店は、急速な日本化の中で失われつつある「自己」を取り戻すための、精神的な避難所として機能していたと考えられます。

トキが夫のこの秘密を知った際の怒りは、単に「自分の手料理を食べずに外食していた」という嫉妬だけではありません。「打ち合わせ」という嘘をつかれていたことによる信頼の揺らぎが、その怒りの根底にあります。しかし、この衝突こそが、互いの文化や身体的な欲求の違いを認め合い、建前ではない真の夫婦関係を構築するための通過儀礼として描かれています。食の好みの違いを「裏切り」ではなく「違い」として受け入れる過程は、異文化交流の難しさと喜びを象徴するエピソードと言えるでしょう。

女中クマとパン作りの日常

ヘヴンの食生活を支える存在として、ドラマ後半の熊本編から登場するのが女中の「クマ」です。夏目透羽が演じるこのキャラクターは、松野家の食卓に変革をもたらしました。

史実において、小泉八雲は「万事日本風」を好んだと妻セツが回想していますが、同時にパンや肉料理も好んでいました。ドラマでは、この矛盾を解決し、リアリティを持たせる役割としてクマが登場します。彼女は毎朝、一家全員分のパンを焼く役割を担っており、時には焼きすぎて焦がしてしまうという愛嬌も持ち合わせています。

この設定は、当時の一般家庭には存在しなかった「パン焼き」という家事が、国際結婚家庭においては日常的なルーティンとなっていたことを示唆しています。「パンを焼く」という行為自体が、松野家における「新しい日常」の象徴となり、視聴者に明治期のハイブリッドな生活様式を視覚的に伝えているのです。

小泉八雲が著した料理本「ラ・キュイジーヌ・クレオール」

小泉八雲を語る上で欠かせないのが、彼が来日前に滞在していたアメリカ・ニューオーリンズでの経験と、そこで執筆された料理本「ラ・キュイジーヌ・クレオール」の存在です。1885年にニューヨークで出版されたこの書籍は、八雲が生涯で唯一遺した「料理本」となっています。

当時、タイムズ・デモクラット紙の記者としてニューオーリンズにいた彼は、現地の文化、特にフランス、スペイン、アフリカ、そしてネイティブアメリカンの食文化が複雑に融合した「クレオール料理」に深く魅了されていました。この本は、単に材料と手順を羅列した実用書ではありません。「読む料理本」とも評される通り、レシピの端々に当時の生活風景や、料理にまつわるクレオールのことわざ、迷信などがエッセイのように散りばめられています。日本の読者向けには、1998年に「ラフカディオ・ハーンのクレオール料理読本」として翻訳出版され、近年では新版「小泉八雲のレシピ帳」としても親しまれています。

クレオール料理本に見る八雲の食への探求心

「ラ・キュイジーヌ・クレオール」に掲載されたレシピからは、八雲が好んだ、あるいは強烈な興味を持った食材や調理法が鮮明に浮かび上がります。

特に象徴的なのが「亀のスープ」です。レシピには「亀のさばき方」から詳細に記述されており、「頭を切り落とし、血をきれいに抜く」「胆嚢を壊さないように腹部の殻と甲羅を丁寧にはずす」といった、現代の家庭料理では考えられないほど野性味あふれる工程が記されています。完成したスープには、亀の卵を飾りにすることが推奨されており、なければ鶏のゆで卵で代用するという柔軟性も見られます。

甲殻類を使った濃厚な料理も、八雲の関心の対象でした。「カニのフリカッセ」では、「よく太ったカニ六杯を洗い、生きているうちにはさみと脚を切り落とす」という、鮮度を極限まで追求した記述があります。また、「ザリガニのビスク」においては、「ザリガニは50匹ほどが適当である」とされ、当時のニューオーリンズにおける大家族やパーティー文化、あるいは食材の豊かさがうかがえます。

八雲が愛したニューオーリンズのソウルフード「ガンボ」も、本書の重要な位置を占めています。オクラやフィレパウダー(サッサフラスの葉の粉末)を用いたとろみのあるスープは、多様なスパイスと具材が混然一体となった料理であり、八雲自身のギリシャ・アイルランドという複雑な出自や、彼が愛した「混血」の文化を象徴する料理と言えます。

明治期の松江における西洋料理事情

ドラマ「ばけばけ」で描かれる明治中期の松江は、急速な西洋化の波が押し寄せていた時代です。八雲が来日した1890年(明治23年)前後、伝統ある城下町・松江の食事情は大きな変革期にありました。

明治時代に入り、明治天皇が牛肉を食したことが新聞などで報じられると、日本国内では「牛鍋」を中心とした肉食文化が爆発的に広まりました。1877年(明治10年)頃には東京だけで500軒以上の牛鍋屋があったとされます。地方都市である松江においても、この波は例外ではありませんでした。西洋料理は当初、上流階級や役人たちの社交の場として、あるいは「文明開化」を体現するステータスシンボルとして受容されていきました。

ドラマに登場する「山橋西洋料理店」には、実在のモデルや、当時の松江の洋食事情が反映されています。松江における西洋料理のパイオニアとして記録に残るのが、明治19年(1886年)に創業した「彌生軒」です。八雲が松江に赴任した明治23年にはすでに存在しており、彼が実際に訪れ、故郷の味を求めた可能性は極めて高いと言えます。ドラマでの「山橋西洋料理店」の描写は、この彌生軒が担っていた「ハイカラな社交場」としての雰囲気を色濃く反映しているでしょう。

また、現在も松江で営業を続ける老舗「レストラン西洋軒」は昭和7年(1932年)創業ですが、「カツライス」の提供など、松江がいかに早くから洋食文化を大衆化させていったかを示しています。ワンプレートで洋食を楽しめるこのメニューは、忙しい当時の人々にも受け入れられました。これらの店の存在は、松江が決して閉鎖的な古都ではなく、新しい食文化を積極的に取り入れる進取の気風を持っていたことを証明しています。

妻セツが作った「愛のプラムプディング」

八雲の食生活を語る上で、妻・小泉セツの存在は決定的です。没落士族の娘として苦労を重ねた彼女は、料理が得意ではなかったという説もありますが、夫のために西洋料理を習得し、献身的に尽くしました。

セツが八雲のために作った料理の中で、最も有名なのが「プラムプディング」です。これはイギリスの伝統的なクリスマス菓子をベースにしたもので、八雲にとっては母国アイルランドやイギリスの記憶を呼び覚ます「ソウルフード」でした。

このプディングのレシピは、非常に手間がかかります。材料としては、牛脂またはバター、小麦粉、パン粉、砂糖、卵、レーズン、プラム、レモンの皮、オレンジの皮、そしてナツメグやシナモンなどのスパイスが使われます。工程としては、バターを常温に戻し、細かく刻んだドライフルーツやスパイス、卵、粉類を混ぜ合わせます。最も重要なのは、生地を一日冷暗所で寝かせて馴染ませることです。その後、型に詰めて低温のオーブンで30分から40分じっくりと焼き上げます。

ドライフルーツの下準備から始まり、生地を寝かせ、火加減を調整して焼き上げる一連の作業を、調理器具も不十分な明治の台所で行うことは容易ではありませんでした。八雲がこれを好んだということは、彼が故郷の味を懐かしんでいたこと、そしてセツがその想いに応えるために、慣れない西洋菓子作りに多大な労力を払っていたことを証明しています。それはまさに「食べる」ことを通じた愛の交歓でした。

セツが作った西洋風フライとオムレツ

セツはプディング以外にも、鯛のフライなどの西洋料理を作っていました。鯛の切り身を塩と砂糖の水溶液に漬け込んで下味をつけ、パン粉をまぶして揚げるという手法がとられています。これは現代のフライ料理の原型とも言える調理法です。

また、八雲の著書「クレオール料理読本」にある「オムレツ」のレシピは、卵をふんだんに使い、牡蠣を混ぜ込む豪快なものとなっています。八雲は卵料理が好きだったと伝えられており、セツが作るオムレツや卵入りのパンは、彼の好物の一つでした。

文学作品に描かれた日本の食風景

小泉八雲の文学的功績の一つは、日本の日常風景を、五感を駆使して描写し、そこに霊的な美しさを見出した点にあります。「食」にまつわる音や風景もまた、彼の作品の中で重要な役割を果たしています。

著書「知られぬ日本の面影」の「神々の国の首都」において、八雲は松江の朝の風景を描写しています。そこで彼は、早朝に響き渡る「米を搗く音」に特別な意味を見出しています。「それは米を搗く、重い杵の音であった。一定のリズムで杵が臼を打ちつけるその鈍い音は、日本の暮らしの中で、最も哀感を誘う音ではないだろうか。この音こそ、まさにこの国の鼓動そのものといってよい」という一節は、八雲にとって米が日本人の生命の根源であり、それを加工する餅つきの音が日本文化の深層で脈打つ心臓の鼓動そのものであったことを示しています。

左目を失明し、視力が弱かった八雲だからこそ、聴覚を通じて「食」の背景にある文化の精神性までをも鋭く捉えることができたのです。

同じく「神々の国の首都」では、朝の静寂を破る物売りたちの声も生き生きと描かれています。「大根やい、蕪や蕪」「もやや、もや(薪にする小枝)」といった売り声が、遠くから近づいてくる様子は、松江の城下町の活気を伝える音の風景です。八雲はこれらの声を単なる騒音ではなく、町が目覚め、人々の生活が動き出す合図として愛でていました。豆腐屋のラッパや、納豆売りの声など、明治日本の食卓を支える行商人の存在は、彼の作品において「生きた日本」の象徴として記録されています。

焼津で愛した鰻の蒲焼

松江時代を経て東京に移り住んだ晩年の八雲にとって、静岡県の焼津は特別な場所でした。彼は1897年から亡くなる1904年まで、ほぼ毎年の夏を焼津で過ごしました。

焼津での滞在先は、魚屋・山口乙吉の家の二階でした。八雲は乙吉を「神様のような人」と慕い、彼との交流を「乙吉だるま」などの作品に残しています。焼津の海は深く荒く、水泳が得意だった八雲にとって格好の遊泳場でした。彼はここで、文学者としての顔を脱ぎ捨て、一人の父親、あるいは一人の人間として、海と地元の人々との交流を楽しみました。

八雲が焼津で好んだ食事として特筆すべきなのが「鰻」です。彼は時折、焼津の浜当目海岸を訪れ、その近くにあった鰻料理の専門店で一日を過ごすことがありました。八雲の曾孫である小泉凡氏によれば、鰻の蒲焼は八雲が愛した「数少ない和食のひとつ」であったとされています。甘辛いタレと香ばしい焼き目、そして脂の乗った鰻の味は、あるいは彼が好んだ西洋料理の濃厚さに通じるものがあったのかもしれません。店に一日滞在して海水浴と鰻を楽しむという過ごし方は、彼にとって最高の保養だったと言えるでしょう。

松江で楽しめる現代の「怪談メニューフェア」

小泉八雲が愛した松江の地では、現在、彼の作品や好物をモチーフにした「観光グルメ」が盛んに開発されています。松江市内の飲食店が参加して開催される「怪談メニューフェア」は、八雲の代表作「怪談」の世界観を料理で表現するユニークなイベントです。

「食人鬼のマッグロしじみラーメン」は、ラーメンゴイケヤで1,300円で提供されています。ゆで卵と白髪ねぎで鬼の形相を表現し、スープには宍道湖産のしじみがふんだんに使われています。特筆すべきは、トッピングのチャーシューに「マグロ」を使用している点です。これは、八雲が晩年愛した焼津の名産であるマグロをレアチャーシューとして組み合わせたもので、物語の世界観と、八雲の伝記的事実を見事に融合させた一杯となっています。

「死霊のはらわた」は、DARUMAで提供されている4ピース1,000円のメニューです。一見すると食欲を減退させそうな名前ですが、実際は大山鶏のから揚げに炭入りの黒い衣を使い、赤いトマトソースをかけた絶品です。赤と黒のコントラストが怪談の恐怖を視覚的に演出していますが、味は地元のブランド鶏を使った本格的なものとなっています。

「舌炙り怪談寿司」は、焼肉銀山和牛で1,500円で提供されています。お化けの舌に見立てた長い和牛スライスを、客の目の前で炙る「ライブ感」あふれるメニューです。シャリが見えないほど大きな肉は、視覚的なインパクトとともに、和牛の脂の旨味を堪能できる贅沢な一品です。

スイーツやドリンクにも遊び心が溢れています。「アサイーゴースト」はKenasunで880円で提供され、生クリームで作ったお化けをトッピングしたアサイードリンクです。飲み進めるとクリームが溶けてお化けの表情が変わっていくという、時間経過を楽しむ仕掛けが施されています。「怪談アフォガード」は松江焙煎所で550円で提供され、「耳なし芳一」をイメージした「耳クッキー」が添えられています。熱いエスプレッソと冷たいアイスの対比は、怪談の背筋が凍る感覚と、その後に訪れる安堵感を味覚で表現しているかのようです。「かっぱふぇ」は風流堂で期間限定で提供されるパフェで、妖怪・カッパをモチーフにした見た目の可愛らしさが観光客に人気です。

八雲の好物を再現した現代の店舗

怪談モチーフだけでなく、八雲が実際に好んだ味や、彼の人生をテーマにした料理を提供する店も存在します。

「サンラポーむらくも」では、「小泉八雲 縁の料理」として、八雲が歩んだギリシャ、アイルランド、アメリカ、日本という4つの国の料理をコース形式で提供しています。季節ごとにメニューが変わり、「美味しまね認証」を受けた地元食材を使用することで、八雲の国際的な背景と松江の風土を融合させています。

「巨人のシチューハウス」は、アイルランド出身のオーナーが経営する店です。ここでは、八雲の故郷の味である「アイリッシュシチュー」や、ニューオーリンズ時代の「ガンボ」を提供しています。八雲の著書「クレオール料理読本」に掲載されたレシピに基づいたガンボは、彼が松江で思いを馳せたであろう味を現代に蘇らせています。

「パン処 山奥」では、「ラフカディオパーン」という商品を販売しています。八雲が卵好きだったことにちなみ、卵をたっぷりと使ったパンです。ネーミングの駄洒落(ラフカディオ・ハーンとパンをかけ合わせたもの)も含め、親しみやすい「八雲グルメ」として定着しています。

小泉八雲・セツお土産とグルメマップ

松江観光協会は、「小泉八雲・セツ」や「怪談」を楽しむための専門マップを作成しています。ここには、上記のような飲食店のほか、八雲夫妻の絆を感じさせる土産物が掲載されています。彩雲堂や風流堂といった老舗和菓子店が作る和菓子や、地元のコーヒー店が提供する「ヘルンブレンド」など、街全体が八雲というコンテンツを「食」を通じて発信し続けているのです。

小泉八雲が求めた「味わい」の本質

朝ドラ「ばけばけ」は、小泉八雲(ヘヴン)と妻セツ(トキ)の物語を、食卓という身近な視点から再構築しました。ドラマの中で描かれる「甘くない小豆雑煮」や「こっそり食べる西洋料理」は、異文化の壁に直面した人間の戸惑いと、それを乗り越えようとする歩み寄りの象徴です。

史実における八雲の食生活を紐解くと、彼は決して「日本かぶれ」の偏屈な外国人ではありませんでした。彼はニューオーリンズのクレオール料理に見られるような「文化の混交」を愛し、日本の伝統的な粗食の美しさを文学的に称賛する一方で、肉やビール、鰻、そして妻の作る甘いプディングといった、生命力を満たす豊かな味わいも深く愛していました。

彼の食卓は、ギリシャ、アイルランド、アメリカ、そして日本という、彼が漂泊した全ての土地の記憶が交錯する場所でした。松江の餅つきの音に「国の鼓動」を聴き、焼津の鰻に明日への活力を求めた八雲。彼が求めたのは、単なる味覚の快楽ではなく、その土地、その文化が持つ「魂」を体内に取り込むことだったのかもしれません。

現代の私たちが、ドラマや観光を通じて彼の愛した料理を味わうことは、100年以上の時を超えて、彼の「開かれた精神」と対話することに他なりません。「ばけばけ」をきっかけに、改めて小泉八雲という稀有な作家の「味わい深い」人生に触れてみることは、私たち自身の食卓をも豊かにする体験となるでしょう。

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