NHK連続テレビ小説『ばけばけ』に登場する「星の餅」とは、出雲地方の正月文化に関連する謎めいたキーワードです。出雲地方では全国的にも珍しい「三段重ね」の鏡餅や、具材が海苔だけという独特のお雑煮など、他の地域とは異なる正月の風習が受け継がれています。本記事では、ドラマで注目を集めている「星の餅」の正体から、出雲地方特有の鏡餅文化、そして小泉八雲が愛した松江の正月風景まで、出雲の民俗文化を詳しく解説します。「神々の国」と呼ばれる出雲地方には、餅にまつわる深い信仰と祈りが今も息づいているのです。

出雲地方とはどのような土地か
出雲地方は島根県の東部に位置し、出雲大社を中心とした神話の舞台として知られています。宍道湖と中海という二つの湖に挟まれた松江市は「水の都」と呼ばれ、国宝・松江城の天守がそびえ立つ城下町です。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)はこの地を「神々の国の首都」と呼び、目に見えない神々や精霊の気配が漂う空気感に深く魅了されました。
出雲地方の気候は、冬になると日本海側特有の曇天が続き、厳しい寒さに見舞われます。この厳しい冬を乗り越えるために、人々は古くから正月行事を通じて春の到来と豊作を祈願してきました。鏡餅や雑煮といった正月の食文化には、こうした自然環境と密接に結びついた信仰が込められています。
松江の街には至る所に妖怪や幽霊の伝承が息づいています。松江大橋の人柱伝説(源助柱)、普門院の小豆とぎ橋の怪異、月照寺の大亀伝説など、八雲はこれらを迷信として排除するのではなく、土地の記憶であり文化の深層を語る重要な物語として大切にしました。こうした「見えないもの」との共生が、出雲地方の精神風土を形作っているのです。
「星の餅」の謎を解く:三つの仮説から探る真実
『ばけばけ』のキーワードの一つである「星の餅」は、非常に興味深く謎めいた言葉です。現存する出雲地方の主要な民俗資料において、そのままズバリ「星の餅」という名称の定着した伝統行事は確認されにくいのが実情です。しかし、周辺地域の風習や関連する民俗学的知見を紐解くことで、この言葉が持つ意味の輪郭が浮かび上がってきます。
民俗行事としての「星の餅」
鹿児島県いちき串木野市には、明確に「星の餅」という風習が存在します。これは大きな陶器の椀に365個の餅を入れて床の間に供えるというもので、餅を星(太陽も星の一つと考える)に見立て、一年の日数を象徴させた農耕儀礼です。正月に一年分の「星」を家の中に迎え入れることで、その年の豊作と安泰を祈願するという意味が込められています。
また、出雲地方に隣接する鳥取県では、佐治町が「星取県」を標榜しています。この地域は「さじアストロパーク」を有する星空の美しさで知られており、星を模した餅菓子や関連行事が存在する可能性があります。山陰地方全体で見ると、星と餅を結びつける文化的土壌があったと考えられるのです。
小泉八雲の文学的感性における「星」と「餅」
八雲はその著作『天の川縁起(Romance of the Milky Way)』において、日本の七夕伝説に深い関心を寄せていました。彼は夜空を見上げ、天の川を「銀河(River of Heaven)」と呼び、星々を「死者の魂の輝き」や「神々の世界」と結びつけて思索しました。八雲にとって星は、異界との交信を媒介するものだったのです。
また、八雲は『知られぬ日本の面影』の中で、冬の松江で聞こえる餅つきの音を「日本の心臓の鼓動」と表現しています。「その響きの伝わり方は、まるで心臓の鼓動を聴いているかのようである。それは米を搗く、重い杵の音であった」と記したのです。真っ白で丸い餅は暗い冬の夜における「光」の象徴であり、八雲の目にはそれが「地上に降りた星」のように映ったのかもしれません。
農業呪術としての餅と星の関連
餅を天井に投げ上げて、天井にへばりついた餅を星に見立てる風習は日本各地に点在します。また、正月の「餅花」を星空になぞらえる解釈も広く見られます。出雲地方においても、正月の「とんど(左義長)」や小正月の行事として、餅を柳の枝に刺して飾る「餅花」の風習があります。
この餅花は満天の星空のように見えることから、「星」に関連した呼び名で呼ばれていた可能性も否定できません。特に冬の山陰は曇天が多く本物の星が見えない日が続くため、家の中に「餅の星」を飾ることで光への渇望を癒やし、豊作を祈念したという解釈は民俗学的にも説得力を持ちます。暗く長い冬を過ごす人々にとって、白く輝く餅は希望の光そのものだったのでしょう。
出雲地方の「鏡餅」:なぜ三段重ねなのか
出雲地方の正月行事には、全国的にも珍しい独自の風習が数多く残っています。その中でも特に注目すべきが「鏡餅」にまつわる伝統です。一般的な鏡餅は大小二つの餅を重ねる「二段重ね」が主流ですが、出雲地方を含む西日本の一部、特に山陰地方では「三段重ね」の鏡餅が見られます。
荒神様への供え物としての三段餅
この三段重ねの餅は、通常の「年神様(歳神様)」へのお供えとは異なり、主に「荒神様(三宝荒神)」に供えるものとされています。荒神様は火の神であり、竈(かまど)の神です。古来、家の中で最も火を扱い生活の糧を生み出す場所である台所は、神聖かつ危険な場所と考えられてきました。
火は生活に不可欠ですが、一歩間違えればすべてを焼き尽くす災いとなります。そのため、荒神様は非常に強い力を持つとされ、丁重に祀る必要がありました。出雲地方の家庭では、台所の竈の上に三段重ねの鏡餅を恭しく飾り、一年の火災除けと家内安全を祈願したのです。
三段に込められた意味
通常の二段餅が「陰と陽」「月と日」を表し円満を象徴するのに対し、三段餅は「安定」や「調和」を表す数字の「3」を用いることで、荒ぶる火の神を鎮める意味があります。三本足の鼎(かなえ)が安定するように、三つの餅を重ねることで揺るぎない平和を表現しているのです。
また、三つの餅を「三宝(仏・法・僧)」に見立てる説や、「三種の神器」になぞらえる説もあります。出雲地方は出雲大社に代表されるように神道の聖地でありながら、仏教文化も深く根付いた土地です。三段重ねの鏡餅には、こうした複合的な信仰が込められていると考えられます。
鏡餅の飾りに込められた出雲の美意識と祈り
出雲地方の鏡餅の飾り方は、豪華でありながら一つ一つのアイテムに深い意味が込められています。これらは単なる装飾ではなく、厳しい冬を乗り越え、新しい春と豊穣を招くための「呪術的装置」として機能していました。
裏白(うらじろ)はシダ植物の一種で、葉の裏が白いことから「清廉潔白」「腹に一物なし」を表します。また、古い葉とともに新しい葉が伸びることから、世代交代と長寿の象徴でもあります。出雲では、この裏白を放射状に大きく広げ、その上に餅を乗せることが多く見られます。裏白を広げた様子は、まるで太陽の光が放射状に広がるようであり、新年の希望を表現しています。
譲り葉(ゆずりは)は、新しい葉が出てから古い葉が落ちる植物です。家督を子孫へ円滑に譲り、家系が絶えないことを願う意味が込められています。親から子へ、子から孫へと代々受け継がれていく家の繁栄を祈る気持ちが、この一枚の葉に託されているのです。
橙(だいだい)はその名の通り「代々」栄えるようにという語呂合わせから用いられます。また、橙の実が冬を越しても木から落ちずに残る生命力にあやかる意味もあります。寒い冬にも色褪せない橙の鮮やかなオレンジ色は、生命の力強さを象徴しています。
串柿(くしがき)は干し柿を串に刺したもので、「嘉来(喜びが来る)」に通じる縁起物です。通常、串の両端に2個ずつ、中央に6個の柿を刺し、「外はニコニコ(2個2個)、中むつまじく(6個)」という家庭円満の願いが込められています。この配置には、家族が仲睦まじく暮らせるようにという切実な祈りが表れています。
昆布(こんぶ)は「喜ぶ」に通じる縁起物であり、古くは「広布(ひろめ)」とも呼ばれ、名が広まることを願う意味もありました。昆布は出雲地方でも正月料理に欠かせない食材であり、鏡餅の飾りとしても重要な役割を果たしています。
十六島海苔の雑煮:究極の引き算が生んだ出雲の味
出雲地方の正月行事で特筆すべきは、全国的に見ても極めて珍しいお雑煮の存在です。その特徴は「具材が海苔だけ」という究極のシンプルさにあります。出雲、特に松江周辺のお雑煮は、カツオや昆布でとった澄まし汁に茹でた丸餅を入れ、その上に「十六島海苔(うっぷるいのり)」を乗せるだけという、驚くほどシンプルな構成なのです。
「黒いダイヤモンド」十六島海苔とは
十六島海苔は、出雲市の北端、日本海に突き出た十六島(うっぷるい)鼻周辺で冬の荒波に打たれながら育つ天然の岩海苔です。『出雲国風土記』にもその名が記されており、奈良・平安時代から朝廷への献上品とされてきた歴史を持っています。1300年以上もの昔から、この海苔は特別な存在として珍重されてきたのです。
機械での養殖ができず、厳冬期に滑りやすい岩場で命がけの手摘みによって収穫されるため、極めて希少で高価な「黒いダイヤモンド」と呼ばれています。収穫できる時期は12月から2月の厳寒期に限られ、波が高い日は作業ができません。そのため、年間の収穫量は非常に少なく、地元でも入手が難しい貴重品となっています。
なぜ海苔だけなのか
その味は養殖海苔とは比較にならないほど香りが強く、コシがあり、口に含むと磯の香りが力強く広がります。他の具材を一切入れない理由は、この海苔の繊細かつ強烈な風味を損なわないためです。野菜や鶏肉、蒲鉾などを入れてしまうと、せっかくの十六島海苔の香りが打ち消されてしまうのです。
また「海苔(のり)」が「運がのる」に通じる縁起物であることも、海苔だけの雑煮が愛されてきた理由の一つです。質素倹約を旨とする一方で、ここぞというハレの日には最高級の食材を惜しげもなく使う松江の人々の「粋」と「信仰心」が凝縮された一椀と言えるでしょう。
小泉八雲もまた、この黒く香り高い雑煮を味わったはずです。見た目は地味でありながら、口に含んだ瞬間に広がる海の香りに、彼は日本の美学の真髄を見出したに違いありません。
餅つきの音に聴く「日本の心臓」
小泉八雲は視覚的なハンディキャップを補うように聴覚や触覚を研ぎ澄ませ、松江という街の「気配」を文章に記しました。彼が特に印象深く記録したのが、正月の準備のために街のあちこちから聞こえてくる餅つきの音です。
八雲は著書の中で、この餅つきの音を「日本の心臓の鼓動」と表現しています。重く鈍い、しかし力強いリズムの中に、彼は日本という国の生命力そのものを感じ取りました。近代化によって失われつつあった「労働の音」「生活の音」が、明治時代の松江にはまだ色濃く残っていたのです。
杵と臼を使った餅つきは、単なる食品加工の作業ではありませんでした。家族や近隣の人々が集まり、掛け声を合わせながら餅をつく行為には、共同体の絆を確認し強める意味がありました。その音は街全体に響き渡り、新年を迎える準備が着々と進んでいることを人々に知らせたのです。
現代では機械で餅をつく家庭がほとんどになりましたが、出雲地方の一部では今も伝統的な餅つきの風習が残っています。年末になると、杵の音が響く風景は、八雲が愛した松江の姿を今に伝えています。
出雲地方の正月行事と信仰
出雲地方では、正月は単なる年の変わり目ではなく、神々を迎え入れる神聖な時期として位置づけられています。年神様(歳神様)が各家庭を訪れ、その年の幸福をもたらすと信じられてきました。鏡餅は年神様の依り代(よりしろ)であり、神様が宿る場所として大切に飾られます。
出雲大社では、旧暦10月(新暦では11月頃)に全国の神々が集まる「神在月(かみありづき)」の行事があります。全国では「神無月」と呼ばれるこの月を、出雲では「神在月」と呼ぶのは、神々がこの地に集結するからです。こうした信仰の土地柄ゆえに、出雲地方の人々は神々との関係を特に大切にしてきました。
正月の鏡餅は、こうした神々への敬意の表れです。三段重ねの鏡餅を荒神様に供え、年神様を迎えるための飾りを丁寧に整える行為は、一年の平穏を願う真摯な祈りなのです。
餅花と小正月の風習
出雲地方では、正月だけでなく小正月(1月15日頃)にも餅にまつわる風習があります。柳や榎などの枝に小さく丸めた餅を刺して飾る「餅花」は、その年の豊作を祈願する行事です。
餅花を飾った枝を見ると、まるで白い花が咲いたように見えます。厳しい冬の最中に「花」を咲かせることで、春の到来を先取りし、農作物の実りを呼び込もうとする願いが込められています。この白い餅の粒々が、満天の星空を連想させることから、「星の餅」という呼び名が生まれた可能性もあるのです。
小正月には「とんど焼き」(左義長)も行われます。正月飾りや書き初めを燃やす火祭りで、この火で焼いた餅を食べると一年間無病息災でいられると言われています。火と餅の結びつきは、荒神様への信仰とも通じる、出雲地方の深い民俗文化を示しています。
松江で味わう出雲の正月文化
ドラマ『ばけばけ』の放送をきっかけに、松江や出雲への旅行を検討している方も多いことでしょう。出雲地方の正月文化を実際に体験できる場所や食べ物をいくつか紹介します。
十六島海苔は、島根県物産観光館や松江市内の一部の店舗で購入することができます。ただし、非常に希少なため、正月シーズンには品切れになることも珍しくありません。購入できた方は、ぜひ自宅で出雲風の雑煮を試してみてください。澄まし汁に丸餅を入れ、最後に十六島海苔をたっぷりと乗せるだけです。シンプルだからこそ、海苔の香りが際立ちます。
小泉八雲旧居は、八雲と妻セツが実際に暮らした家として公開されています。八雲が執筆に使った部屋や、彼が愛した庭の美しさを今も見ることができます。この庭について八雲は「心の奥底に触れる美しさ」があると記しており、日本庭園の静謐な魅力に心酔していた様子がうかがえます。
月照寺は、松江藩主・松平家の菩提寺です。ここには「夜歩く大亀」の伝説があり、八雲もこの怪異に強い関心を寄せていました。境内には巨大な亀の石像があり、夜になると動き出すという言い伝えがあります。
城山稲荷神社は、八雲が特に愛した散歩コースにあります。古びた石狐が数多く並んでおり、八雲はこれらを「生きた友人」のように愛でていたと言われています。苔むした石狐たちの表情は一つひとつ異なり、八雲の想像力を大いに刺激したことでしょう。
星と餅が結びつく出雲の精神世界
出雲地方において、星と餅はどちらも「光」と「生命」の象徴として捉えることができます。暗く長い冬の夜空に輝く星は、人々に希望を与える存在でした。そして、真っ白な餅もまた、暗い季節における「地上の光」として、新年の希望を表現していたのです。
八雲が『天の川縁起』で描いた織姫と牽牛の物語は、星が単なる天体ではなく、人々の想いや物語が投影される存在であることを示しています。同様に、餅もまた単なる食べ物ではなく、神々への供物であり、家族の絆を象徴し、一年の願いを込める器だったのです。
「星の餅」という言葉の正確な由来は判然としませんが、星と餅という二つの「光」を結びつける発想は、出雲地方の精神風土から自然に生まれたものと言えるでしょう。厳しい冬を乗り越え、春の光を待ち望む人々の祈りが、この言葉には込められているのかもしれません。
出雲の餅文化が伝える「見えないもの」への敬意
出雲地方の餅文化を紐解いていくと、そこには「見えないもの」への深い敬意が見えてきます。年神様、荒神様、そして先祖の霊といった目に見えない存在を大切にし、餅という形あるものを通じて交流しようとする姿勢です。
鏡餅を飾り、雑煮を作り、餅花を飾る一連の行為は、単なる慣習ではなく、見えない世界との対話の手段でした。八雲が松江の怪談や伝説に惹かれたのも、こうした「見えないもの」との共生を自然に受け入れる出雲の人々の精神性に共鳴したからでしょう。
現代社会では、こうした「見えないもの」への敬意は薄れがちです。しかし、出雲地方の正月文化は、私たちに大切なことを思い出させてくれます。自然の恵みに感謝し、先人の知恵を受け継ぎ、家族や共同体の絆を大切にする生き方です。
『ばけばけ』で描かれる「星の餅」や「鏡餅」というキーワードの背後には、出雲地方の人々が何世代にもわたって受け継いできた祈りと知恵が込められています。それは単なる正月の風習にとどまらず、自然と人間、現世と異界、そして過去と未来をつなぐ精神的な架け橋なのです。ドラマを通じて、日本の原風景や忘れかけていた「心の豊かさ」を感じ取っていただければ幸いです。










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