お百度参りの正しいやり方とは?朝ドラ『ばけばけ』で話題の願掛け作法を解説

お百度参りとは、神社の拝殿と百度石の間を100回往復しながら祈願を行う日本古来の願掛け方法です。2025年後期NHK連続テレビ小説『ばけばけ』第11週「ガンバレ、オジョウサマ。」では、令嬢・江藤リヨが恋の成就を願ってお百度参りを敢行するシーンが放送され、視聴者に強い印象を与えました。お百度参りは正しい作法を守って行えば、現代でも神社で実践できる伝統的な祈願方法です。

この記事では、ドラマ『ばけばけ』で描かれたお百度参りについて解説するとともに、お百度参りの歴史的背景、正しいやり方と作法、守るべきマナー、そして現代の視点から見た心身への効用まで、詳しくお伝えします。

目次

朝ドラ『ばけばけ』で描かれたお百度参りのシーン

2025年12月9日に放送された朝ドラ『ばけばけ』第11週「ガンバレ、オジョウサマ。」において、島根県知事の娘・江藤リヨ(演:北香那)がお百度参りを行うシーンが描かれました。リヨは外国人教師レフカダ・ヘブン(モデル:ラフカディオ・ハーン/小泉八雲)への恋心を成就させるため、日本古来の願掛けであるお百度参りを選択します。

このシーンが印象的なのは、普段は英語を学び洋装を好むハイカラな令嬢であるリヨが、恋の成就という切実な願いに直面したとき、西洋的な方法ではなく日本古来の身体的な祈りを選んだ点にあります。明治という西洋化が進む時代においても、人々の心の深層には神仏への信仰が根付いていたことを象徴的に表現したシーンといえます。

ドラマでは、リヨのお百度参りと並行して城山稲荷神社での印象的なすれ違いも描かれました。リヨがヘブンを伴って神社を訪れた際、ヘブンが夢中になったのはリヨではなく、境内に鎮座する無数の石狐でした。ヘブンにとっての日本の魅力とは西洋化された女性ではなく、「知られぬ日本の面影」を残す石像や風景、そしてそこに宿る霊性だったのです。リヨが必死にお百度を踏めば踏むほど、皮肉にもヘブンの関心は祈りの対象そのものへと向かい、リヨ自身からは離れていくという切ない展開となりました。

お百度参りとは何か

お百度参りとは、神社や寺院において、拝殿(本殿)と境内に設置された百度石の間を100回往復しながら祈願を行う参拝方法です。「百度参り」「百回詣」とも呼ばれ、病気平癒、恋愛成就、合格祈願、商売繁盛など、切実な願いを叶えるための強力な願掛けとして古くから行われてきました。

お百度参りの特徴は、単に神前で手を合わせるだけでなく、身体を使って繰り返し参拝するという「動的な祈り」にあります。100回という回数を重ねることで、願いへの真剣さと覚悟を神仏に示すとともに、参拝者自身の精神を集中させ、祈りの純度を高めていく効果があるとされています。

百度石とは、神社の境内に設置された石柱のことで、本殿と俗界の境界付近に置かれています。参拝者はこの百度石と本殿の間を往復することで、日常の空間と神聖な空間を何度も行き来し、神との距離を縮めていきます。百度石は単なる折り返し地点ではなく、神と人の間の結界としての意味を持っているのです。

お百度参りの歴史と起源

お百度参りの原型は「百日詣(ひゃくにちもうで)」と呼ばれる参拝形式にさかのぼります。百日詣とは、特定の神社や寺院に100日間、毎日欠かさず参拝して祈願を行うものでした。

史料における最古の記録は、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』に見ることができます。文治5年(1189年)、源頼朝による奥州藤原氏追討の際、鎌倉で留守を預かる北条政子が、戦勝と頼朝の無事を祈り、鶴岡八幡宮に女房たちを参拝させたという記述があります。これがお百度参りの最古の記録の一つとされており、当初から命に関わるような切実な願いと結びついていたことがわかります。

しかし、百日詣には実践上の課題がありました。100日という期間は、急病の平癒や差し迫った危機に対しては長すぎる場合がありました。また、物理的な距離や仕事、家庭の事情から、100日間毎日参拝することが困難な人も多かったのです。

そこで室町時代から江戸時代にかけて普及したのが、現在の形式である「お百度参り」です。100日間という期間を短縮する代わりに、1日で100回往復するという方法に変化しました。これは「100日分の参拝を1日で凝縮して行う」という考え方であり、日本人の信仰における柔軟な対応力を示しています。この形式の変化に伴い、神社の境内には回数をカウントするための百度石が設置されるようになりました。

お百度参りと丑の刻参りの違い

お百度参りについて調べると、「丑の刻参り」と混同されることがあります。しかし、この二つは目的も精神性も全く異なる行為であり、明確に区別する必要があります。

お百度参りは、病気平癒、恋愛成就、合格祈願、商売繁盛といった「正の願い」をかけるための祈願方法です。時間帯は特に決まっておらず、神仏への敬意から日中や夕刻に行われることが一般的です。周囲の人に見られても問題なく、むしろ公開の場で堂々と行う祈りといえます。

一方、丑の刻参りは特定の個人を呪詛するための儀式であり、深夜の丑の刻(午前1時から3時頃)に人目を避けて行われます。藁人形に五寸釘を打ち込むといった描写で知られるように、他者に害を与えることを目的とした「負の行為」です。

両者は「繰り返し参拝する」という点では共通していますが、その目的と精神性は対極にあります。ドラマ『ばけばけ』でリヨが行ったのは、ヘブンとの恋の成就を願うお百度参りであり、誰かを呪うためのものではありませんでした。

お百度参りの正しいやり方と作法

お百度参りを実践する際の正しいやり方について、準備から実行、結願までの流れを解説します。

準備と心構え

お百度参りは身体的にも精神的にも負荷の高い行為です。100回の往復には通常40分から1時間以上を要するため、安易な気持ちではなく、覚悟を持って臨むことが大切です。

服装については、かつては白装束に裸足が正式とされていました。しかし現代では必須ではなく、神聖な場にふさわしい清潔な服装であれば問題ありません。裸足での参拝はドラマの演出としては美しいものですが、実際には境内での怪我のリスクがあるため、履き慣れた靴で行うのが賢明です。歩きやすいスニーカーなど、長時間歩いても疲れにくい靴を選びましょう。

回数を数える道具は必ず用意してください。100回という回数を正確に数えることは、神様への誠実さを示すことにつながります。道具にはいくつかの種類があります。伝統的な方法としては、こより(紙縒り)や竹串を100本用意し、1回参拝するごとに1本ずつ所定の場所に納める方法があります。神社によっては百度石にそろばん状の玉や回転式の輪がついており、これを使ってカウントできる場合もあります。現代では手持ちの数取器(カウンター)やスマートフォンのカウントアプリ、小石を100個用意して数える方法でも構いません。

実行の手順

お百度参りの標準的な手順は以下のとおりです。

まず入場と清めを行います。鳥居の前で一礼してから境内に入り、手水舎で手と口を入念に清めます。これから100回の祈りを捧げることを意識し、心身ともに清浄な状態で臨みましょう。

次に1回目の参拝(誓いの参拝)を行います。拝殿に進み、お賽銭を入れて鈴を鳴らします。二礼二拍手一礼の作法で参拝し、この際に自分の氏名、住所、そして願い事を詳細に神様に伝えます。「これから百回参ります」と神前に誓うことで、お百度参りが正式に始まります。なお、寺院の場合は合掌一礼が基本の作法となります。

2回目から99回目の往復では、拝殿から百度石(または鳥居)まで戻り、百度石の前で一礼してから再び拝殿へ向かいます。拝殿前では深く一礼し、心の中で願いを念じます。毎回拍手や鈴を鳴らす必要はない場合が多いですが、神社の慣習に従ってください。往復のたびにカウンターで回数を記録し、数え間違いがないよう注意します。

100回目の結願(けちがん)では、最後の参拝として再び丁寧な作法(二礼二拍手一礼)を行います。100回を無事に終えたことへの感謝と、願いが叶うことへの祈りを神様に捧げます。お賽銭を改めて納める場合もあります。

無言の行という最も重要なルール

お百度参りにおいて最も重要かつ守ることが難しいルールが「無言の行(もごんのぎょう)」です。お百度参りを始めてから終えるまで、一切言葉を発してはならないとされています。

無言を守る理由は、言葉を発することで蓄積された集中力や精神的なエネルギーが散逸すると考えられているためです。また、世俗の会話を断つことで、神との対話にのみ意識を向けることができます。

途中で知り合いに会った場合でも、会釈のみで済ませ、言葉を交わさないようにします。ドラマ『ばけばけ』でリヨが周囲を気にせず一心不乱にお百度を踏む姿は、この無言の行を実践する理想的な姿といえます。

お百度参りがもたらす心身への効用

お百度参りは単なる「神頼み」ではなく、現代の神経科学や心理学の観点からも、心身に合理的な効用をもたらす行為として注目されています。

歩行瞑想としての効果

お百度参りの動作、つまり一定の区間を一定のリズムで無言で歩き続けることは、マインドフルネスにおける「歩行瞑想」と構造的に同じです。

リズム運動である歩行は、脳幹のセロトニン神経系を活性化させます。セロトニンは精神を安定させ、不安や恐怖を抑制する神経伝達物質です。100回の往復には40分から1時間以上かかりますが、この持続的なリズム運動がセロトニンの分泌を促し、爽快感や心の落ち着きをもたらすとされています。

また、人は安静時にデフォルト・モード・ネットワーク(DMN)と呼ばれる脳回路が活動し、過去の失敗や未来の不安を繰り返し考えてしまう傾向があります。しかし、足裏の感覚や回数のカウント、祈りの言葉に意識を集中させることで、このDMNの過活動が抑制されます。結果として脳の疲労が回復し、クリアな思考が可能になるのです。

心理的な効果

心理学的には、お百度参りは「コミットメント(関与)」の強化プロセスとして説明できます。「これほど大変な思いをして100回歩いたのだから、この願いは自分にとって本当に重要なものだ」と脳が認識を強化する効果があります。

また、身体的疲労の極致において執着が削ぎ落とされ、「やるだけのことはやった」という自己受容に至るケースもあります。お百度参りの体験者からは、50回を過ぎたあたりから身体的苦痛よりも精神的な没入感が勝り、「ランナーズハイ」に似た変性意識状態に入ることがあるという報告もあります。

ドラマ『ばけばけ』でリヨも、最初はヘブンへの執着で動いていましたが、往復を重ねる中で、ある種の浄化や決意の固まりが生じた可能性があります。お百度参りは、願いを叶えるための手段であると同時に、自分自身の心と向き合う機会でもあるのです。

お百度参りができる神社

お百度参りは百度石が設置されている神社であれば実践可能です。ここでは、ドラマ『ばけばけ』の舞台である松江市周辺のスポットと、お百度参りで有名な神社を紹介します。

松江市内の関連スポット

城山稲荷神社は、島根県松江市殿町の松江城山公園内にあります。松平直政公が松江に入城する際、夢枕に立った稲荷神を祀ったのが始まりとされています。境内には数千体ともいわれるおびただしい数の石狐が奉納されており、その多くは風化して苔むし、独特の霊気を放っています。小泉八雲は通勤途中にこの神社を愛し、特にお気に入りの石狐があったと伝えられています。ドラマでヘブンがスケッチをした場所であり、静寂に包まれた境内は小泉八雲文学の原風景を感じさせる場所です。

賣布神社(めふじんじゃ)は、島根県松江市和多見町にあり、松江駅から徒歩圏内にある古社です。速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)を祀り、穢れを払う浄化の神として信仰されています。出雲國神仏霊場の一つでもあり、お百度参りのような個人的な祈願を行うのに適した、地域に根差した神社です。

月照寺は、島根県松江市外中原町にある松江藩主松平家の菩提寺です。小泉八雲の著書『知られぬ日本の面影』にも登場し、特に巨大な石亀(寿蔵碑)は、夜な夜な動き出して人を食らうという怪談で知られています。ドラマ『ばけばけ』の世界観を体感できる重要なスポットの一つです。

西日本を代表するお百度参りの名所

本格的にお百度参りを行いたい方には、大阪府東大阪市にある石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)をおすすめします。通称「石切さん」と呼ばれ、お百度参りのメッカとして全国的に知られています。

石切劔箭神社では、本殿と鳥居の間に二つの百度石が設置されており、その間(約33メートル)を回る参拝者の列が途絶えることがありません。授与所で「お百度紐」を受け取り、1周ごとに1本ずつ折って箱に納めるシステムが確立されているため、初心者でも迷うことなくお百度参りを実践できます。病気平癒を願う参拝者が多く、その真剣な祈りのエネルギーは圧倒的なものがあります。

お百度参りで願う内容と心得

お百度参りでは、どのような願い事をすればよいのでしょうか。伝統的にお百度参りは、通常の参拝では叶えることが難しい切実な願いを神仏に届けるために行われてきました。

代表的な願い事としては、病気平癒があります。大切な家族や友人が病に倒れたとき、その回復を願ってお百度を踏む人は多くいます。自分自身の病気ではなく、誰かのために祈るという点が特徴的で、他者のための願いは特に叶いやすいとも言われています。

恋愛成就もお百度参りの代表的な願い事です。ドラマ『ばけばけ』でリヨが行ったように、想いを寄せる相手との縁を願って参拝する人もいます。合格祈願では、受験を控えた子どもや孫のために親や祖父母がお百度を踏むケースがあり、商売繁盛家内安全を願う人もいます。

お百度参りで大切な心得として、人の幸せを願うということがあります。他人の失敗や不幸を願うことは禁じられており、そうした負の念は自分自身に返ってくるとされています。純粋に誰かの幸せを願い、真心を込めて参拝することが、お百度参りの本質といえるでしょう。

お百度参りを重ねることで願いが叶いやすくなると言われる理由は複数あります。まず、参拝を繰り返すうちに雑念がなくなり、真摯な心で神仏に向き合えるようになることが挙げられます。また、何度も同じことを願い続けることで、自分の心と深く向き合う修行になるという側面もあります。

願いが叶ったらお礼参りを

お百度参りで願いが成就した場合は、必ずお礼参りを行うことが大切です。願いを叶えてくださった神様への感謝を伝えるため、もう一度神社を訪れて参拝します。お礼参りは、お百度参りのように100回往復する必要はなく、通常の参拝形式で感謝の気持ちを伝えれば十分です。

お礼参りを怠ると、今後の願い事が叶いにくくなるとも言われています。神様との約束を果たすという意味でも、願いが叶った際には忘れずにお礼参りに訪れましょう。

お百度参りを行う際の注意点とマナー

お百度参りを行う際には、いくつかの注意点とマナーを守ることが大切です。

まず、体調管理に気をつけてください。100回の往復は想像以上に体力を消耗します。体調が優れないときは無理をせず、別の日に改めて行うようにしましょう。夏場は熱中症対策として水分を事前にしっかり摂取し、冬場は防寒対策を忘れないようにしてください。

他の参拝者への配慮も重要です。お百度参りを行っている間、他の一般参拝者の邪魔にならないよう注意しましょう。参道の端を歩く、混雑時は避けるなどの配慮が必要です。

時間帯の選択については、神社が開いている時間内であれば基本的にいつでも可能ですが、早朝や夕方など比較的空いている時間帯を選ぶと、集中して行うことができます。深夜の参拝は神社の迷惑になる場合があるため避けてください。

神社の規則を確認することも大切です。神社によってはお百度参りについて独自のルールを設けている場合があります。事前に社務所に確認するか、案内板をよく読んでから始めましょう。

現代におけるお百度参りの意義

2025年の朝ドラ『ばけばけ』が描くリヨのお百度参りは、明治という文明開化の時代における西洋合理主義に対する日本的身体性の表れであり、愛する者のために全存在を賭ける純粋な情熱の発露でした。

小泉八雲は、日本人が持つ自然や死者、神々との親密な交感を愛しました。リヨのお百度参りは、八雲が『知られぬ日本の面影』で記録したような、名もなき人々が石に祈りを刻みつけてきた歴史の延長線上にあります。

現代を生きる私たちにとって、お百度参りは前近代的な迷信ではありません。情報過多のデジタル社会において、身体を動かし、沈黙し、ひとつの願いに集中するという、極めて有効な「動く瞑想」としての価値があります。スマートフォンから離れ、自分の足で歩き、心の中で願いを繰り返す時間は、日々の喧騒で乱れた心を整える貴重な機会となるでしょう。

ドラマを見て心を動かされた方は、実際に近くの神社を訪れてみてはいかがでしょうか。100回踏まずとも、静かに境内を歩きながら自分の願いと向き合う時間を持つことは、心の深層にある本当の願いに気づくための現代の巡礼となるはずです。

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