NHK朝ドラ「エール」
裕一、戦地に行ってしまうのかと思ったら。
またしても、ネタバレ記事を見てしまった。
史実では、どうだったのか?
調べてみたいけど、先の展開を見てしまいそうで・・・。
って、ことは、福島三羽烏で残るのは、鉄男か・・・。
鉄男のところにも召集令状が届くと思われますが、どうなるのでしょうか?
福島三羽烏が再集結するまで、まだ長いですね。
そう言えば、弟の浩二から手紙が届いていましたね。
あの手紙は、なにを示唆しているものだったのかな?
ネットの感想
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裕一さんの親友の木枯さんが口にしていた言葉
「利用されなければいいけど、、、、、」
裕一さんが作曲した若鷹の歌をYouTubeで聴いた
悲しくて悲しくてとても辛い曲だと思いました
裕一さんの曲が戦意高揚のマインドコントロール
そんなことに、人が死ぬことに利用されるという
そんなことは裕一さんの本意ではないと思うし、
裕一さんの音楽性とは、はっきりと異なると思う
裕一さんには 「栄冠は君に輝く」のような曲が
似合うと思うし戦争の為の歌は本当に辛すぎる!
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戦争に協力しない事が正しい事だったのか?ならば当時生きた人々は、すべて怠惰で無責任であるべきだったのか? 当時、公然と国策を否定する事は、天安門で戦車の前に立ちはだかった人と同じ行動をするに等しい、
命懸けの反逆行為。
そのような反権力行動をしないで、当時の義務を護り、政府に従った人を責めるのか?
現代の感覚で、当時一生懸命に生きた人達を貶めるべきではない。戦争がいけないのは、当たり前ではあるが、感情に基づく戦争否定は、「戦争ができる国になってはならない。だから自衛隊は要らない。」と主張する人たちに利用される事になるだろう。
戦時ドラマの世界が嫌ならば、この国の自由と民主主義を命を懸けても護るべき。それすら否定する事は、戦時ドラマの世界を肯定する事になる。
若鷲の歌。
祖父はお酒が入りご機嫌になると十八番になっていました。懐かしいです。
幾つものお考えは有ります。が、戦地で戦い傷つき倒れた方々、戦後の辛酸を舐め塗炭の苦しみに堪えながら日本の復興に尽力された方々に素直な気持ちで感謝したいと思っています。
古関裕而が遺した戦時歌謡はまさに
木枯が言う「利用されなきゃいいけど」の言葉に集約される。
例えば「オリンピックマーチ」も名を変えて「軍隊行進曲だ」と言えばそうなるし
「栄冠は君に輝く」だって歌詞を変えて軍歌にすることもできる。
山をやる人にお馴染みの「穂高よさらば」も歌詞を変えれば軍歌になりそう。
「若鷲の歌」も歌詞を変えれば山の歌にもなるし大学の応援歌にもなる。
つまり戦時歌謡を作って若者を戦地に送り込んだのは古関裕而の曲を利用した
当時の軍を頂点にした国だったのだと思う。
曲が何に使われたかと考えるより、名曲をたくさん残してくれた功績そのものは称賛されるべきでしょう。
露営の歌、暁に祈る、若鷲の歌 全て戦時歌謡の名作です。古関さんも複雑な想いはあったでしょうね。
脚本家も軍歌をどう表現するかで悩んでいるだろうな。単なるドラマだと捉えない人達からの批判も多いだろうし、ましてやNHKで放送しているのだからね。
若鷲の歌、これはまさに死にに行く若者への高揚の歌であり、これに躍らされて志願して死にに行く若者が多かったと言うから、まさに、戦争に利用されたと言っていい。悲しい時代だ。
いろんな朝ドラの中でも戦時中の話はありましたが…比べるのはおかしいんだけどなんかエールが1番戦争の残酷さがわかるような気がします。
裕一さんは曲を提供している分召集令状はこないとばかり思っていた。木枯くんの「利用されなきゃいいけど」この言葉もとても重いです。
桜に錨の7つボタンに憧れた学生もいたのでしょうね。
予科練も当初は競争率が高く数十倍だったそうです。
昭和19年には飛行機乗り以外は人間魚雷や水上特攻艇震洋、人間機雷という兵器があったそうです。
聞いただけで身震いがします。
お母さんが体調を崩されているって浩二が言っていたのも気になります。
戦時中の話は辛いことが多くて暗い気持ちになってしまうけど、東京オリンピックでの人々の輝きを描くには大事なんですよね、きっと。
目をそらさずに見ます。
今だから結果がわかってるけど
当時は日露戦争と同じ様になると
思ってるのだから
後の目からの批判は良くない
利用されなければいいけど…
木枯さんのこの一言で、古関裕而が軍部に利用されていたのだ、と 示唆する脚本が素晴らしいと思った。
恐らく当時も、戦争を言い出し推進した狂信的な軍国主義者は一部で、全体の半分以上の人々は「おかしい」と思っていたはず。なのに声が大きい方に巻き込まれて同調した空気が出来てしまう。ケイワイの論理。この流れ、今も変わっていない。いじめもそう。国民性と言えばそれまでだが、特に今は利権が主導した問題が目立つ。コロナ、オリンピック、少子化対策をしない外国人誘致、原発等々。歴史に学んで国が滅びる間違った方向に行かないように何とかできないものだろうか。
若鷲の歌は、歌詞も曲もそれほど悲惨ではないと思います。曲は、戦後ラジオドラマだったかに使われてもいました。
遥かに悲壮なのが、「嗚呼神風特別攻撃隊」です。戦時中はレコードとして販売されなかったようですが、戦後、伊藤久男と春日八郎により歌われています。悲壮、といっても、この曲に乗って特別攻撃に行け、という意味ではなくて、一つの鎮魂歌、レクイエムです。信時の「海征かば」も、名曲ですし、歌詞は万葉集です。
戦後は、戦争と名がつくだけで、好戦的だと毛嫌いされますが、こうした歌が忘れ去られて良いとは私は思いません。
「嗚呼神風」はユウチューブでも聞けます。エールでは放送しないと思いますので聞いて下さい。
作詞は鉄雄のモデルの野村俊夫です。「送るも行くも今生の別れと知れど微笑みて、爆音高く基地を蹴る嗚呼神鷲の肉弾行」なんて、いい加減な気持ちで作詞したものとは思えません。
この頃の軍部は利用出来るものはなんでも利用し、万葉集の歌だって勝手な解釈をして国民に刷り込んでいた。
以前働いていたスーパーの社歌、歌詞を変えれば軍歌になるなぁー。
とにかくあの厳しい時代を国民は一生懸命に生きていたのは間違いない。感動して涙が止まらない。
どうして沢村栄治は召集解除にならなかったのか
野球は敵国競技だからか?
「若鷲の歌」というと「広島死闘編」を思い出す。
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