朝ドラ「らんまん」万太郎と寿恵子を救った人々とかるやき

NHK連続テレビ小説「らんまん」の第91話が7日に放送されました。

あらすじは、長女・園子を亡くした悲しみから、なかなか立ち直れない万太郎(神木隆之介)と寿恵子(浜辺美波)です。まつ(牧瀬里穂)、りん(安藤玉恵)、倉木夫婦(大東駿介・成海璃子)らも心配しています。万太郎は、いつか自分たちが園子のところへ行くときに図鑑を持っていこうと寿恵子と約束をします。

やっぱり先週で区切りにはならなかったですね。 2人が再び立ち上がるためにも、今日の展開は必要でした。 すえちゃんも万太郎もこれからがさらに大変でしょうが、少なくとも前向きになるきっかけはできたということでしょう。 園ちゃんのところに行く時には植物図鑑を持っていきます。 明日からも応援できそうです。

倉木夫婦は、子供たちにかしわ餅を食べさせていましたが、食べ方も知らなかったということは初めて食べたのでしょうか。 それだけに、倉木家の生活は楽ではないだろうに、身重の須恵子を心配して当時はまだまだ高価な卵をぶっきら棒に渡す倉木さんの言葉と優しさが胸に沁みました。

最後に、悲しみに暮れる毎日でも、お腹の子が確かに着実に成長していることが分かり、生きる勇気が貰えたようで、少しずつではあるが、元気を取り戻す寿恵子が見られて良かったね。

夜泣きの声がしたと園ちゃんを探し回る寿恵子は、哀しい気持ちに包まれていた。人は親しい者を亡くした時、自分の非を責めたり、あれもすればよかった、こうすべきだったと後悔したりするものだ。寿恵子も早産だったことで自分を責めていた。倉木の言うように、時しか癒やすことができないのかもしれない。倉木はぶっきらぼうだが、卵をやる心遣いは優しかった。食欲を失っていた寿恵子だったが、やがてカルヤキを美味しそうに食べ始めた。少し元気になって良かった。

日曜日を挟んで、園ちゃんが亡くなった悲しみも少し和らいでいたところで、万太郎の呆然とした表情を見て、悲しみが一気にこみ上げてきました。これまで脚本が素晴らしいなと思って観ていましたが、今日は、万太郎の表情だけで全てが伝わってきて、神木くん、さすがだなと思わず感心しました。15分間とても重く長い時間でしたが、万太郎と寿恵子の出会いのきっかけが、かるやきによって救われたというのは、救いでもありました。この辛さが、植物学者として植物図鑑を完成させるという喜びに変わることを信じて、最後まで見続けたいと思います。

どんな時も明るく前向きな寿恵子さんが、自分を責め、夜中に園ちゃんの夜泣きの声を聴いて、ますます打ちひしがれていく様子が痛ましく、大切な子が亡くなった悲しみがひしひしと伝わってきました。万太郎さんに息子の命を救われた倉木さんの温かい思いやりと、「時ぐすり」という言葉が、長屋の人たちもまた園ちゃんの死を悲しんで、万太郎さんと寿恵子さんに寄り添っているのを感じました。そのちゃんのためにも、図鑑を完成させるという新しい目標が2人の支えになり、少しずつ回復していく姿を描くこのドラマの丁寧さが心に沁みました。

確かに今朝は重い気分だった。 でも、私たちはいずれ我が子の元に行くときには、生涯かけて成し遂げたものを持って行こうという誓いを立てたのだ。 倉木さんからの卵の差し入れはありがたかった。 黄身はたまご粥になり、寿恵子は食欲がなく食べられなかったが、白身はカルメ焼きになり、万太郎自ら作って寿恵子は食べることができた。 ささやかな人の優しさと、ほんの少しのどん底から這い上がる姿勢が見受けられた。

セリフが無いときでも、神木さんの表情は素晴らしいです。失意のどん底の表情から、かるやきを作って笑顔を見せたあとの深い悲しみと痛みを沈めた瞳で、ふと頷くような表情まで。そうだ、図鑑を作って園ちゃんに見せるんだ、と、悲しみに沈みそうな自分に言い聞かせるような感じでした。次回は明るいお話になるといいですね。

以前、再放送で観た『大草原の小さな家』の最終場面で、メアリーの赤ちゃんが亡くなったとき、メアリーの父親が、「私たちは、亡くなった人たちに誇れるように生きていかなければならない。それが、彼らへの最高の供養だ。」と語る場面がありました。今回の万太郎の言葉も、まさにそのような意味合いなのだと思いました。今日の話を見て、あの場面を思い出しました。

「灯りも入れないで」と言われたとき、この長屋はこんなに真っ暗なのだと思った。しかし、それは物理的な暗さだけでなく、この長屋は万太郎や竹雄からの寿恵子や園ちゃんの笑顔で明るかったことを再認識した。あの闇があったから、太陽の明るさも格別だった。

園ちゃんを悼む回があって、本当に良かった。このドラマは、園ちゃんが亡くなったことに対する心の痛みを描きつつ、ナレーション程度で次のストーリーに移るような展開ではなく、丁寧に作られていると感心しています。

園ちゃんが亡くなった後、史実通りであれば、遅かれ早かれ寿恵ちゃんの死も描かれることになるでしょう。その時が本当に怖いです。観てる側も相当なショックを受けそうです…

これは個人的な感想(予想?)なのですが、「マッサン」と同じ展開になる可能性があります。つまり、このドラマの最後は寿恵子の死を描いてフィナーレを迎え、その後、万太郎の功績が社会で高く評価されるシーンはナレーションとワンカット映像で済ませるように…

二人とも自分の責任を感じている場面や、寿恵子の眼球が動き回っている箇所が、動揺と混乱を示していて、切なかったです。

しかしその後、二人で手を取り合って、いつの日か図鑑を園子ちゃんに届けることを約束し、懸命に前を向いています。その姿に心を打たれ、涙がこみ上げてきました。「園ちゃんが喜んでくれるような図鑑を一緒に作ろう」という夢を追いかけていた彼らの前に、新たな目的が加わったのだと思います。

園子ちゃんの死を無駄にしないために、二人が生涯の作業と決めた図鑑作成に邁進する姿を見たいです。そして、その図鑑を見たら、園子ちゃんがあの天使のような笑顔を浮かべるようなものを作ってほしいと思います。

昭和30年代くらいまでは感染症で亡くなる人が多かったです。大人は結核(ドラマでもよく出てくる喀血シーン)、子どもはなんといっても麻疹(はしか)だったと思います。 史実では富太郎夫妻は13人の子どもをもうけましたが、大人になるまで成長したのは6人だったそうです。 自分が育児中に亡くなった実母(昭和一桁生まれ)が、「今の子どもたちは予防接種があるからいいね。あんたが小さいころは、はしかで死ぬような高熱がでるわ、百日ぜきで呼吸困難になるわ、ポリオが流行った時(昭和36年ですね)近所の子どもがかかって麻痺になったり、もうとにかく生きた心地がしなかった。」と言っていたのを思い出しました。子どものワクチン接種は、当たり前のように受けられる時代になったのはそう遠い昔ではないです。

辛いですね。

自分のせいかもしれない…と思ってしまうのは、私も身内を亡くした後に経験したことがあるためよく分かります。それでも考えても仕方のないことですが、大切な人の死を受け入れられなくて、自分がもっとしっかりしていたら…とか気をつけていたら…とか、自分自身を責めるような後悔の念が頭の中を巡ります。

あの世が本当にあるのかどうか…。もし存在するなら、園ちゃんに再会するために、しっかりと生き抜かなければなりません。万太郎も寿恵子も…。

最後には、二人が何とか前向きになり始めたようで、良かったです。

カルメ焼き、美味しそうでしたね…。

この物語では、人々の心の機微や生活の細部が丁寧に描かれています。言葉に頼らず、心を表現する演出がとても好きです。生きることは容易ではありませんが、人が生きるそのものが、切なく、悲しく、愛おしく、美しいと感じます。

今日も泣いてしまった。寿恵ちゃん、辛そうだね。やはり自分のせいで園ちゃんは…とか、責任を感じてしまうんだろうね。でも、万太郎や母親のまつさんに寄り添ってもらって、寿恵ちゃんは感謝しているんだろうね。まつさんに教えてもらいながら“カルメ焼き”を作ってあげて、寿恵ちゃんもお腹の赤ちゃんの分まで食べて、元気になってほしい。

カルメ焼きの作り方をやっていたけど、作って食べてみたいな笑

今日の回はそのちゃんの弔いの回でしたが、すえちゃんがそのちゃんの夜泣きの声がするというシーンで、万太郎がいつかそのちゃんのところへ行く時に図鑑を持っていくというシーンで、涙が出てきた。明日は竹雄夫婦が来るので、明るい雰囲気になるかな〜

万太郎と寿恵子、両方とも憔悴しきっている。お互いが自分自身を責める苦しい展開だ。その中でも、万太郎が絞り出すような言葉に、心が沁みた。

カルメ焼き、とても愛情がこもっている。今日一番心が和んだ場面だった。

カルメ焼きを食べることで、思い出の甘い食べ物が悲しみを消すことはできませんが、日常に戻るきっかけを作ってくれることもあります。

私たちは、我が子が他界し、急に元気になったり、逆にいつまでもクヨクヨしていたりすることがありますが、人間は少しずつ少しずつ時間の経過とともに立ち直っていきます。

周りの人たちは何もしてあげられないかもしれませんが、心底心配し、同情し、ものすごく小さなことでも何かをすることで、夫婦を元気づけようとします。

そんな情景が丁寧に描かれていて、重いとは思いませんが、月曜の朝から涙がポロポロでした。

あいみょんの主題歌ロングバージョンだけで泣けてきます。まつ(牧瀬里穂)と倉木(大東駿介)のやさしさが戻ってきました。牧野博士の西武鉄道の記念キップを、今日練馬駅に買いに行ったら(遅れましたが)完売していました;;

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