22日に放送されたNHK連続テレビ小説「ブギウギ」では、ツヤ(水川あさみ)がついに危篤となりました。直前にツヤが梅吉(柳葉敏郎)に言った“最後のお願い”がネットの涙を誘いました。
この日の「ブギウギ」では、六郎(黒崎煌代)が東京のスズ子(趣里)を訪ね、出征前の最後の兄妹の時間を過ごします。
一方、大阪のツヤの病状は思わしくありませんでした。ツヤは梅吉に「わたし、バチでも当たったのかな」「こんな早く死ぬなんて思いもしませんでした」と語りかけます。梅吉は「思わないでいいよ」と言いますが、ツヤは、スズ子を生みの親であるキヌ(中越典子)に会わせなくなったことで「そのバチだろうな」とつぶやきます。
そして梅吉に、自分が死んだ後もスズ子をキヌには会わせないでほしいとお願いします。「これから生きていく、わたしの知らないスズ子をキヌが知るのは耐えられません」と正直な気持ちを打ち明けます。「みにくいでしょう?」と言うツヤに、梅吉は「みにくいことはないよ」「ツヤちゃんはやっぱり最高の母親だ」と言いながら、ツヤの手を握ります。その後、東京のスズ子のもとに「ハハキトク」の電報が届きます…。
梅吉にだからこそ言えたツヤの本音だったんだろうな。子供にはいい所を見せたいし、立派な親であると思われたいから、こんな事は言えないだろう。それは子供達も同じで、六郎は母親には言えない本音を、スズ子にだけ打ち明けた。親子だから何でも言い合える訳ではなく、親子だからこそ言えない事もある。この脚本家さんはきれいごとばかりではない、人間の業の深さも描きながらも、視聴者に愛されるキャラクターに仕上げているから凄いと思う。
この脚本家さんは凄いです。『ツヤ子さん』では、綺麗ごとではなく、娘の成長を見守れない母親の無念さを表現しています。また、出征する六郎では、人間の死ぬことの不安や恐怖を赤裸々に語らせています。さらに、六郎は両親には気丈な姿を見せながら、血のつながらない姉に本音を語るという深い描写があります。
これまでドラマではタブーにされてきたようなことを見事に描き出し、それを認めて撮影に臨んだスタッフや俳優の方々に本当に敬意を表したいです。
私たちは託された子どもを育てています。お腹の中で大切に育てられ、私たちと出会ったというオリジナルの絵本を定期的に見せています。子どもから「私のお話の絵本を見せて」と言われると、頭ではわかっていても心がキュッとなります。
「私が死んでしまっても、私だけがあの娘の母親であり続けたい、お母ちゃんでいたい」という気持ち。しかし、裏を返せば、つやさんはずっと「あの娘の本当の母親ではない」という事実を抱えてしんどかったんだろうな。つやさんが心から「すず子は私のほんまの娘や」と思えるよう願っています。
悲しくて、人間らしくて美しい嫉妬だった。
自分が消えてしまう世界線。 見届けることができない悔しさ。 命が絶えたその先も、この世界は続いていく。
でも世界で一番愛した人間は自分でありたい。誰にも譲りたくない。 もうそれって究極のような気がする。
誰に何を言われようとも、どんなにカッコ悪くても、なりふり構わずスズ子の世界線に自分は居続けたい。
「醜いやろ?」 醜いなんてことはあるわけない。なんだか感情移入し過ぎて涙が止まらなかった。見終えた今もちょっと引きずってる。
リアルなホンネ4連発。六郎はネエやんには当時言ってはいけない「死にたくない」と本音を吐き、ツヤさんも梅吉には病気がバチだとしても本当の母親には会わせたくないと本音を吐き、すず子も親の死に目にも会えないというショービジネスの厳しさを超えたところで、歌手として成長したいんやという本音をステージの裏で吐露し、エゴのようだけど人間って綺麗事じゃないと思わせる説得力のある役者さん達の熱演もすごいです。心が痛くなるくらいわかる。自分の息子は血がつながっていない。3歳の時の離婚なので記憶は少しあるらしい。実の父親の何十倍の時間を過ごして愛情を注いだ自負はある。息子も「俺の父親は育ててくれたお父さんひとりだけ」と言ってくれている。実の父親に「会いたければあってもいいぞ」と日頃言っているが、「血のつながりって大きいのだろうか」という自問は続いている。
香川で鈴子が実の母親に会ったことをツヤは知らない。鈴子と六郎の約束で「秘密」だから。しかし、鈴子の東京の下宿を訪ねた六郎は、チズから「2人は似ていない」と言われ、「ねえやんとは血が繋がっていないから」と口を滑らし、鈴子に頭をはたかれた。ツヤが梅吉に頼んだ内容は、自分勝手にも聞こえるが、余命いくばくもないツヤの立場に立てば理解できる。「母危篤」の電報を受け取った鈴子は、ショックでしゃがみ込むが、ステージを終えてから、ツヤの元に駆けつけるようだ。間に合ってよかった・・。
スズ子の母親でいられなくなるのが恐いのかもしれませんね。スズ子を見てたら絶対そんな事はないと思うのですが、そう思ってしまうのものなんでしょうね、、、
我が子の行く末をずっと見届けたい・・・。なんとなく松山千春さんの「生命」という曲を思い出しました。
お母ちゃんの最後のお願い、そんなふうに思うんだ!と驚いたのと同時に、ツヤの正直な気持ちが痛くて切なくて悲しくて…どう表現していいか分からない。
リアルな本音が4つ連続で出た。 ツヤは死んでも母であり続けたいと願う。 鈴子はその母よりも舞台を選ぶ。 助け舟かと思ったら、やっぱり笑う鬼だった羽鳥。 六郎が鈴子の胸で泣くシーン。
丁字路を左に曲がったってことは、生きて帰ってくるのがお約束。
六郎は東京のスズ子のところまで一人で行けたなーと思ったし、出征の集合場所が大阪ってことは遅刻しちゃったら怒られるんじゃないかなって思った。あとは泣いちゃった、泣いちゃった。 変なことに突っ込まないと、仕事に感情を持ち込んでしまいそうで。 明日も泣いちゃうかもしれないな。
今朝は六郎くんで泣いたし、ツヤさんで泣いたし、スズ子ちゃんが気丈に舞台に立つ姿で泣いた… 泣きっぱなしでした。 なんだろうなぁ、悲しいんだけど温かい涙なんだよね。 このドラマからは体温を感じる。
ツヤの願いにはちょっとな~って思うな。 キヌだって好きでツヤにスズ子を預けたわけじゃないから。 ツヤがスズ子を独占したい気持ちもわかるよ。 ずっと自分の子として育ててきたから。 産みの親よりも育ての親とも言うしね。 でも、会わせたくないって考えるのはどうかな。 私でもツヤの立場だったら、そんな風に考えるかな。 難しい問題だね。
ツヤも本当はわかってると思う。スズ子自身が決めることだと。願わくばそうだといいな。子供の自立を願いながら、ずっと子供のままでいてほしいとか、結婚せずにそばにいてほしいとか。そんな思いと似ているのかな。
でも死を迎える人は、そんな弱さを出してもいいと思う。気丈に振る舞われてもつらい。まあ、どっちにしても、そうだね。
こんな素晴らしい台詞を織り交ぜるなんて、脚本家の才能はすごいと思います。今朝のエピソードでは、ツヤさんだけでなく、六郎も死を語るという重い場面でした。
なんだろうね、最近はテレビで泣いたことがなかったけど、こんなに素直に泣けるなんて、このドラマが始まった時には思ってもみなかったわ。
ツヤさんは、スズコと本当のことを話さなかったからこそ、不安だったんだろうと思います。私も自分の醜さから、戦後ますますスターになるスズコがキヌさんに悪いことを考えられるのではないかと、ふと心配になりました。スズコと会わせない方がいいと思いました。
「ブギウギ」は今週は涙腺崩壊の週でした。来週からは戦争がさらに激化していくでしょうし、東京にいるスズちゃんは大空襲などもあるでしょうから、それはそれでどうなるのでしょう…
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