朝ドラ「らんまん」万太郎のモデル牧野富太郎と槙野寿恵子。視聴者からはじわじわと怒りの声

寿恵子は金に困り、叔母の料亭で働くことになりました。深夜に帰宅し、疲労困憊の状態でした。その頃、万太郎は子供を寝かしつけていました。すると、万太郎は家計簿を見つけ、寿恵子の愛読書である「八犬伝」が質屋に入れられたことを知りました。稼ぎのない状況に気づいた万太郎は、資料室まで作って、自分の研究に必要な草花の本を大量に取り寄せつつ、子育てをする寿恵子との対比がしばらく続きました。この状況に、視聴者からはじわじわと怒りの声が寄せられていました。

牧野博士が生涯にかけた研究は、寿恵ちゃんの内助の功によるものであり、万太郎の研究は彼女自身も共に見る夢だったでしょう。寿恵ちゃんは早くに亡くなられたようですが、やはり苦労が堪えたのかもしれません。実際にはお子様も13人も生まれたそうですし。万太郎は幸せな人だと思います。きっと、植物研究のために天が御使いになった人なのでしょうね。それにしても、寿恵子さんはご立派な方だったと思います。

現代のドラマ用にマイルドにアレンジされているようですが、史実を読む限り、博士本人はもっと好き勝手にやっていた人のようで、モデルとなった寿衛さんも相当ご苦労されたようです。 植物画の一部を見たことがありますが、ものすごく精密で圧倒されました。ただ、そういった能力が生活力にはつながらなかった人なのだと思います。誰かブレーン的な人が付いていたら、また違ったのかな、と思いますね。

たくさんの人が同じことを考えていると知って安心しました。妻が家計のために働いているのに、「他の男に目移りしているのではないか」と言われるのは、とてもイチャイチャシーンには見えず、「誰のせいで夜中に働きに行っていると思っているんだーー!」と叫びたくなりました。

お寿恵ちゃんは偉大ですね。お父様の形見の『八犬伝』を絶対に取り戻せますように。

夫婦関係は、お互いが尊重し合って納得していれば、それが一番だと思います。

万太郎のように、優れた才能を持っていても、その才能がお金に直結しない人は今でも多くいます。

万太郎は救えないほどのダメ男でもなく、お寿恵さんは、ああいう万太郎だからこそ愛しているのかもしれません。

一秒でも長く研究するためには、多くの人々が家族の犠牲を払って研究に専念しています。しかし、それでも研究が成し遂げられない場合もあります。

家族がそれを支持し、応援することができれば、研究者はさらに成果を上げることができるでしょう。

このように、批判的な意見が出てくることが予想される場合、このドキュメンタリーでは、寿恵子の思いを折々に挿入することで、視聴者の感情を和らげることを意図しています。

ドラマを見ると、多くの視聴者が主人公の万太郎の身勝手さに腹を立て、逆に妻の寿恵子の頑張り屋さんぷりに共感するようです。史実でも、モデルとなった富太郎博士はやりたい放題やって妻の壽衛は本当に苦労したということだから、ドラマでもその線で描かれていくんだろうと思います。

また、皆川さんの演じる弥之助は、豪快な所作が大財閥の総帥らしさを演出していて、とても良い雰囲気ですね。

一般には、「お金持ち」(実家にお金があって)であれば、道楽をすることができます。しかし、「貧乏」(実家が破産)になっても、相変わらず道楽を続ける万太郎の姿勢は何とも言えません。

今も昔も、貧乏人ほどお酒やパチンコなど、依存的な道楽(今、流行りの〇〇は犯罪)をする人が多いです。

高い志を持つ「道楽者」の万太郎のように、真の金持ち道楽の岩崎の500円をぶんどってほしいものです。

モデルの牧野博士については、調べれば誰でも知ることです。今更腹を立てることではありませんが、妻の寿恵子が「あの人は大成する」と信じているので、私としては寿恵子の気持ちを理解したいと思います。万太郎を否定することは、彼の奥さんが頑張っていることを否定することにもなると思います。また、万太郎が仕事に出たところで何ができるのか疑問に思います。植物採集に行くこともありますし、仕事を中途半端にしてしまうかもしれません。休みばかりで仕事ができないと、すぐにクビになるかもしれません(笑)。私は、弁護士を目指している旦那さんが勉強に集中できるよう、奥さんが外で働いて夫婦で支え合うことができる例も見てきました。

いつも見ていて感じるのですが、この夫婦や子供の着物や衣服にはまったく貧乏の説得力がありません。だから、私は貧乏の危機感を感じていません。いいことがあれば、牛鍋を食べるシーンが出てきそうで、想像してしまいます。

共感できない方は、本当の苦労を知らないのかもしれません。信念を貫き、事を成し遂げる人々の多くは、誰かしらの献身的な支えがあるものです。万太郎はましな方かもしれませんが、勤め人の奥様方には理解できないでしょう。苦労の質が違います。お寿恵さんも夫に賭けているのでしょう。腹の据わり方、覚悟が違うのです。

ただ、明治時代ですから。収入がなくても若くして結婚し、貧しいけれど子供はどんどん作る。それでも暮らせたのです。

もし社会が平凡な人だけで万太郎のような天才が許されなかったら、レオナルド・ダ・ヴィンチやエジソン、アインシュタイン、スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツ、イーロン・マスクのような人たちが存在できなかったでしょう。現代社会には必要不可欠です。

このような感想は、たぶんすでに織り込まれていると思われます。例えば、「牧野富太郎博士を朝ドラに!」という要望は、地元高知から何度もNHKに出向いていたはずです。ただし、「家族・勤労・地域社会」を三本柱とする朝ドラにおいて、牧野氏の経済観念の欠如や社会規範への適応力の欠如などが障害となり、実現できなかったのではないかと思われます。

しかし、今回の作品は、万太郎の勝手さや甘ったるさにNOを言う、駄目を出す人物を局面局面で必ずぶつけ、彼らが(失敗朝ドラのように)主人公に降参してあっさり味方になるのではなく、「自分は反対、世の中と合わないが、それもアリ」「良いところは認めよう」と折り合いをつける構成になっています。また、寿恵子の「お武家様と芸者との間の婚外子」や「八犬伝」のオタクといった初期設定も絶妙です。とりあえず、自分はここまで万太郎を「泳がせとく」ことができます。結局、神木隆之介さんによって引っ張られることになるのでしょうか。

そうは言っても、実際に万太郎はそういう人だったので、ストーリーとして曲げるわけにはいかないでしょうね。 まあ、このドラマは最初から万太郎のノーテンキさというか、時にバカじゃないのと言いたいこともしばしばあります。 朝から苛立つドラマではありますが、最後まで見て何を言いたかったのか考察してみましょう。

研究に対する対価の認識の乏しい日本社会が問題点ではないでしょうか? 万太郎が天才的な研究をしているのに、世間の常識に当てはまらないから、研究=遊び、役立たずという考えが現代でも言われていることが記事の主旨であることを理解したいです。

現在では当たり前の考えだとは思いますが、この当時の生活水準を考えたら、万太郎みたいな人は多かったと思います。逆に「お金持ちで道楽でやっている」と言う人では、ドラマにならないし共感できないと思います。

自分なら同じ植物を研究するなら農学かな。農学の方が金にもなるだろうし、人類に対して貢献できると思います。

万太郎が酒、女、博打でお金を使っていれば論外だけど、そうでないわけです。人それぞれ幸せの価値観や物差しは違いますし、少なくともお金のために犯罪や不正を行って稼ぐ人よりはましです。

あいみょんさんのOP曲の「愛の花」は寿恵子の心情を歌ったものだそうですね。「私は決して今を憎んではいない」とあるので、きっと劇中の寿恵子もそうなんでしょう。

牧野博士に限らず、偉大な業績の陰には、配偶者や家族を含め、人知れず犠牲となった人々がいるんだろうね。そういうことに気付かせてくれるだけでも、いいドラマだと思います。

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