朝ドラ「らんまん」徳永教授と田邊教授の違いって・・・

万太郎は正式な助手として教授の徳永に迎えられ、7年ぶりに植物学教室に戻った。徳永がドイツ語であいさつしながら教室に入ってくると、若い学生たちに万太郎を紹介した。徳永は万太郎に教授室へ来るよう伝え、再びドイツ語で「では諸君。今日も植物学を始めよう」と呼びかけた。

万太郎は教授室で改めて対面した徳永に、留学先のドイツについて質問する。すると徳永は「確かに行かなければ分からなかった」とつぶやき、「標本を集めてきた歴史が違う。数で勝てるわけがない」と答えた。万太郎が「その…勝ち負けでは…」と違和感を口にすると、徳永は「勝ち負けなんだ」と明言し、植物学教室は国の金を使って、国家の求めに応じて研究していると告げた。

徳永は、ドイツの植物学界では顕微鏡を使った解剖学に注目が集まっていることを説明し、その分野の研究で日本の植物学が世界の頂点に立つ可能性があると熱く語ります。万太郎は“勝ち負け”にこだわる徳永に違和感を抱き、1人教室で立ち尽くしていると、大窪が入ってきます。大窪は、植物学が次の段階へ進んでいると話し、「地べたはいずる植物学なんぞ終わったんだ」と言い放ち、「俺は切られたよ」と打ち明けます。

七年も経てば、世界も人も変わりますね。学問としての植物学も、採集と新種の発見よりも植物解剖学としての植物学へ舵が切られています。徳永教授が変わったわけではなく、時代が流れて植物学も国の威信をかけた学問の一つとなり、背負うものが大きくなりました。このような空気には刺激を受けますね。みんなで新しい発見に歓声を上げていた頃が懐かしくなります。

徳永教授は、ドイツで圧倒的な標本の数の違いや歴史の違いを感じたのでしょう。ここで勝負したとしても勝てないと感じたのでしょう。顕微鏡の世界、波多野、野宮コンビがやってきた分野なら世界に勝てると感じたのでしょう。そして、週末は自分へのご褒美としてビールとソーセージを楽しむ、至福のひとときを過ごしていたのですね。ビールとソーセージ、合いますよね。この組み合わせは最高です。

大窪助教授は、これまでの地べたを這う植物学はもう終わったと言っていました。大きく方向転換した7年ぶりの帝大植物学教室、万太郎は上手くやっていけるのでしょうか。

現代でも、研究の世界は1年違えば大きく異なると思います。万太郎が新しい機械を知らなかったように、あの時代でも7年の進歩は大きかったでしょう。

私には徳永教授が新しい分野で研究を進めようとすることが悪いことには思えませんが、最終的には田邊教授のように、やり方は異なっても植物好きの心で融和し、日本の植物学が進展することを望みます。

海外を見て視野が広がることは理解できますが、徳永教授の変貌には辟易してしまいます。勝ち負けにこだわることは当然ですが、それが当時の日本が遅れていたことを意味するだけでしょうか?

どの研究を行うかによって、学者の運命が決まるというのはなんとも切ないことです。しかし、日和らず軽んじられても、自分の信じる研究を地道に続け、最終的に評価された研究者もいました。万太郎、頑張ってください!寿恵ちゃんや子供たちのためにも。

環境によって人は変わることは仕方ないが、本来持っているものまで完全に変わることはないような気がする。徳永さんがここまで変わったのは、よほど強い想いがあるのか、もともとこっちが本当の徳永さんだったのか。万太郎との関係も複雑になっていくだろう。給料も思ったよりもらえないようだし、寿惠子さんの苦労は続きそうだ。

徳永教授はもともと田邊教授の後ろ盾があっての地位だったから、帝大が田邊教授を排除した以上、徳永教授も実績を出さないと同じ目に合うというプレッシャーは大きいと思う。今は万太郎に理解のある波田野と田宮が学部を牽引しているので、居場所はあるだろうが、後々、万太郎が居づらい状態になりそうで不安だ。

徳永教授は万太郎のおかげで植物学への本当の愛情に目覚めたが、田邊教授の敵たちからの推薦で田邊教授の座に収まり、出世の道が開け、国家から求められるものがあると感じ、ドイツの植物学の規模や段階の違いを目の当たりにし、頭の上がらない連中の顔色をうかがい、それなりに年月も過ぎて…。ああいう感じになるのはとても自然だと思いました。

開口一番、英語がドイツ語に変わっただけかと(笑)。

徳永教授も、万太郎の問いに表情が暗くなったところを見ると、ドイツで心を折られたのだろうか。それに権力を持つと、みんな似てくるんでしょうか(笑)。

実際もかなりの確執があったそうだから、田邊教授のようなダークな教授として描かれるのだろうか。なんとか夕顔先生の顔を立ててほしいんだけどな。

万太郎が大学を出禁になったり園ちゃん亡くなったあたりから見られなくなってしまった…人間関係や利害関係が重くて。自分が今似たような立場にいるからかもしれないけど。いいドラマだとは思うので、落ち着いたら撮り溜めてるのを見てみようと思う。

日本人は手先が器用で、根気強く、集中力があり、細かい作業が得意です。欧米人が抱く日本人イメージは、維新以降輸出された日本の版画や美術工芸品からも形成され、現代でも残っています。しかし、それが日本のデジタル化を“周回遅れ”にした要因の一つかもしれませんね。もし日本人がもっとズボラで、飽きっぽくてメンドくさがりで、書類の束のカドカドがぴっちり合ってるか合ってないかなんてぜーんぜん気にならない人が多かったら、結構前に役所も学校もお店も工場もデジタル化してたかもしれません。

・・・・ん?だったら自分は日本一デジタル化が進んだ人間になってるはずなんだが・・どこで間違った!?

徳永教授も世界を見て、日本の足りない部分など客観的に見てきたのでしょう。今でも海外留学した人達は意識が高くなる傾向があります。それに東大の植物学を背負っている気概が田邊元教授と似てくるのも仕方がないと思います。そして今、自分たちは最先端の研究をしている自負があるから、自信が漲っていますね。以前の自信なさげが嘘のようです。しかし、万太郎は万太郎。自分がやりたいことが明確ならば東大にいて、やりたいことをやればいい。徳永教授からも金は出すと言っていましたからね。

帝国大学(国の機関)だから、各国に抜きん出る成果を出さなければいけない。徳永教授も長として組織を束ねていく。今はもう、解剖学が主流で、分類学は二の次なのですね。予算配分からして、大窪さんは余剰人員になってしまったのでは。これまで尽力してきたのに…。仕方のないことかもしれませんが、現実は辛く厳しいものですね。

立場が変われば言うことも変わる!また、立場が人を作る!とよく言われるが、これは言い得て妙だと思う。例えば、「らんまん」の徳永教授も全くその線で人が変わったということになるのかもしれない。ドイツ留学前には花を愛でるいい人だった教授だったが、やはり教授という地位につけば欲も名誉も手に入れたいと思うのが人情かもしれない。そんな人の性を見ていて思うことがある。

万太郎は、印刷所の絵師に語っていたことが、自分も同じ立場になったことを感じている。

時の流れの速さ、人間の進歩の凄さ。世の中はみるみる代わっていく。

正直に言うと、今朝の放送で「またか」と少し不安になってしまった。もう大学との確執はお腹いっぱい。どうかつらい週にならないようにと願っています。らんまんは久々のヒット作なので期待しています。

実際、こういう研究の世界は勝ち負けは大いに関係あるからね。やっぱり、万太郎は独自にやるのが性に合っていると思う。

徳永さんは変わったな。ドラマゆえ仕方ないのだろうけど、万太郎には安泰は無いのだろうか…。

ウィキペディアにまた学歴がないから批判されるけど、大学に必要だから残れると書いてあったなー。

みんな7年経っても同じスーツだよなぁ。今野も青いスーツだし。

大窪! そこに愛はないんか?

コメント

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