朝ドラ「らんまん」史実とは違う万太郎と牧野富太郎

万太郎(神木隆之介)は田辺(要潤)によって大学を出禁にされ、7年後にNHK連続テレビ小説『らんまん』第22週「オーギョーチ」で、徳永(田中哲司)に声をかけられて、助手として大学に復帰することになります。

時の流れは残酷で、田邊の痕跡はもはやなく、ドイツ留学した徳永の色に染まっています。教授の部屋はドイツの品が飾られ、挨拶はドイツ語。大窪(今野浩喜)は植物学教室から離れることになりました。

植物学の主流は、フィールドワークによる分類ではなく、顕微鏡を使った解剖学に変わっていました。万太郎は日本で一番有名な植物学者ではありますが、すでにある種のレジェンドになってしまい、先端ではありません。日本の植物学を世界の先端にしたい徳永にとって、万太郎のやっていることはあまり重要ではありません。そうなった場合、万太郎はどうするのでしょうか。

万太郎が迷っている間に、台湾への視察の話が持ち上がりました。寿恵子(浜辺美波)との関係からであろう岩崎弥之助(皆川猿時)が口添えし、国の代表として万太郎に白羽の矢が立ちました。しかし、日清戦争に勝利した日本が台湾を統治し、台湾で台湾語を使用することを禁じているという状況に、万太郎は疑問を抱きます。結果、ピストルも携帯することなく渡航し、現地では日本語を話すように言われているにもかかわらず、台湾の人々に台湾語で話しかけ、体制にまったく従わないことになります。さらに、帰国後の報告書では、新種の植物・オーギョーチの学名に台湾語を使用し、物議を醸します。

史実とは異なる描き方ではありますが、この作品は素晴らしい脚本だと思います。万太郎さんは武器を持たずに台湾現地に赴きました。彼の姿勢には、アフガニスタンで灌漑事業普及を続け、ついには命を落としたペシャワール会の中村哲さんを思い出させるところがあります。中村さんは命を落としましたが、アフガニスタン人で今や彼のことを知らない人はいません。多くの命を救ったことも事実です。万太郎さんは闘いの土俵には上がりませんが、どんな人とも平等に接し、自分の考えに沿って植物の研究に没頭することを選びました。きっと、大きな成果につながると思います。あと1ヶ月を切りましたが、どんなクライマックスになるのか楽しみです。

脚本が見事ですね。ピストルを持っていくような脚本にしないところが素晴らしいです。その後の展開も納得できます。オーギョーチーとの出会いも、なるほどと思わせます。私もついオーギョーチーのことをWikipediaで調べてしまいました。愛玉子という単語は、池波さんの本で知りましたが、池波さんが牧野博士のことを書いていると知って、とても嬉しかったです。ドラマが終わりに近づいているのは寂しいですね。

徳永教授と細田助教授は、留学先で惨めな扱いを受けた経験から、植物学における日本の地位の向上が重要であると考えました。

一方で、初めて海外に出た万太郎は、人の欲望の大きさとそのために些細なことが踏みにじられる光景に出くわしました。そうした些細なことを後世まで守りたいと思うようになったのです。

そこで、細田助教授から「この植物学教室は、世界の植物学の頂点に立った」という言葉をかけられたとき、万太郎は肩を落とし、溜息をつき、がっかりした表情を浮かべました。万太郎にとっては、そうしたことはどうでもよかったのです。

それでも、万太郎は「植物学に尽くし、植物の名前を永遠に図鑑に刻む」という決意を新たにしました。ただ、この方針が植物学教室の方針と合わないことが影響を及ぼすことを心配しています。

自分の信念を貫くことに専念し、世俗的な欲望には関心を持たないという生き方は、少年ジャンプの王道主人公(ドラゴンボール・孫悟空、ワンピース・ルフィ、ハンターハンター・ゴン)に通じる美学があると思います。これは日本人独自の美学かもしれませんが、世界的に称賛される要素も持っているように感じられます。

ドラマとしては素晴らしいですが、主人公のヒューマニスト的側面、在野vs象牙の塔という対立構図が強調されすぎている点は少し気になります。万さんも大学を利用しているのに、大窪助教授の去り際の頭ハタキは、神木さんの反応から多分アドリブだと思いますが、ザ・主人公的な存在への皮肉でもある気がします。

万太郎が銃を持たず、代わりに自身が完成させた植物図鑑を持って台湾に行き、命を救われた演出は良かったです。妻の寿恵子が、「銃の代わりに植物図鑑を」と夫に提案した時、何で植物図鑑なんだろうと思いましたが、台湾の案内人の陳は万太郎には日本から来た支配者という目でしか見ていないことに繋がったことで納得できました。しかし、陳が万太郎を植物図鑑で救い、純粋に植物研究で台湾に来た万太郎に心を開く展開は、徳永教授達独留学組とは真逆のコントラストとなり、このドラマに厚みと面白みを与えたように思います。残り1ヶ月、万太郎と大学側の関係がどうなるのか、時間が過ぎるのが惜しくなりますね。笑!

最初からモデルにしていてもフィクションドラマだと言っているので、史実にこだわる必要はありません。 日本人は普段あまり意識していないか、あまり意識しないまま外国人を差別することをしているので、世界的に見た場合、差別される側になることもあるということを知らない人もいます。 万太郎の今回の結論も、日本が台湾を支配する側だったから寛容になれたと言えますが、自分が差別されていたら違っていたかもしれないと思います。

当時の台湾は、蒋介石率いる国民党が逃げ込む前で、中国人は少なく、台湾人が多かった。

ドラマで、(台湾の部族が)住まいに動物の頭骨を飾っているシーンがチラッと映ったが、実際には、台湾の土着の部族には首狩り族もいた。それほど好戦的ではなかったようです。

ピストルを携帯するのは、差別意識ではなく、当時は護身用に必要だったのだと思います。

沖縄戦で、日本軍がいた島は米軍から徹底的に攻撃されて全滅したが、日本軍がいなかった島は何もされずに助かったという事実があります。 武器を持って攻撃の姿勢を見せると、先手を打たれて攻撃されることがあります。かえって危険です。また、銃社会のアメリカでは、夫婦や男女のトラブルで銃が使われることが圧倒的に男性側にあたります。身を守るために武器を持つことは詭弁であることがよくわかります。

そうだったんですか。田邊教授の溺死による訃報まで(時間的なものは変更されたらしいですが)、史実に沿った展開だったそうで、個人的には朝ドラなんだから、植物学のフィールドや教育現場から去っていくだけで良かったんじゃないのかな、なんて思いつつ観ていました。 なので、てっきりピストル不持参の話も史実に沿ったものだったのかと思っていたら、こちらはまさかのフィクションでしたか。台湾の人たちとうちとけるには、ピストルがない方がスムーズだったから変更したのかもしれません。 自分が脚本家だったら、朝ドラの暗黙のマナーという点を考慮して、溺死訃報はたとえ史実には沿わなくてもスルーし、ピストル持参の件は万太郎が選択したのなら、本人の人物像に関わるので、こちらを史実に沿った方がよいと思います。 まあ、個人的に感じた史実に沿う、沿わないの違和感は些細なものにしかならず、ほぼ満点に近い脚本には感服してしまうのですが。

実在するモデルがいるものの、オリジナル脚本として製作されているため、「史実」にこだわる必要はありません。比較することも楽しいですが、ドラマとして十分に楽しめる作品だと思います。

私は「らんまん」を毎日楽しく見ています。牧野万太郎さんが実際にはこんなひどい人だったという事実について、視聴者がそう思うことはないのではないでしょうか。植物学者の牧野万太郎は知っていますが、私生活については知りません。

あくまでもドラマであるため、脚本家次第でどんな人物像にも書けると思います。最近は、実際にこんな酷い人だったという記事がよく出てきますが、残り僅かですので、「らんまん」を楽しませてもらいたいと思います。一方で、大河ドラマ「どうする家康」はまだまだ先が長いため、頑張って見ています。

万太郎にとっては、どんな草花もみんな平等である。当然、万太郎にとって人も平等であろう。この思想を描いたのである。そして、時代は軍国主義に支配されていた。ドイツはイギリスと共に世界的にはトップであり、開国後数十年の日本は、鹿鳴館政策も失敗し、足元にも及ばなかった。そのため、台湾に対しては強硬な態度を取ることになった。そんな時代に、徳永教授や細田助教授は、ドイツで日本人であることが世界でどう思われているかを痛感したのだろう。また、佑一郎君もアメリカで人種差別を目の当たりにしてきた。こうした時代背景を描きながら、ブレない姿勢の万太郎を描いたのだろう。

脚本家の意図は、万太郎の武器は植物学だから「これで戦ってこい」という意味で、ピストルではなく自著図鑑を持たせる演出だったと思ってみていた。まあ、いろいろ解釈があって良いのではと思います。これ以外の部分でも、だいぶ史実と異なる部分が多いドラマですので。

万太郎の言っていることは正論だとは思いますが、ただ、モデルもだけど、我が強すぎて恩義に対する気持ちとか相手の立場を思いやる気持ちとかが欠けているなぁと…田邊教授も徳永教授も万太郎に期待したらいけないんだよ。

タイトルと結びの言葉、人類最大の課題って、いくらなんでも大袈裟すぎるでしょう(笑)。史実と異なるのは、台湾にピストルを持って行かなかったことだけではなく、そもそも万太郎のキャラが史実とはかなり違う。モデルになった牧野富太郎と共通しているのは、小学校中退の植物の天才ということだけです。これはおそらく脚本の長田さんは、史実のままだと朝ドラの主人公としては無理!と考えて改変したのでしょう。ネットを見れば牧野博士の史実があるのですぐわかりますが、確かに天才でもあまりにも非常識、東大を出禁になったのも牧野氏側に多くの原因があったとのこと。だから、非常識を天才ゆえの純粋さと不器用さと鈍感さへと、でも優しいオタクへと変えた。しかしそのままではドラマにならないから、寿恵子を八犬伝オタクにした。オタクを理解できるのはオタクだけという大発明ですね。戦わないというよりは、万太郎には世界も日本もなく、自分と植物だけなんですね。

まさに、「雑草という草はない」という精神が、言葉や国を超えて通じた台湾でのひと幕でした。長屋に来た時も、大学での振る舞いや研究も、すべてにそれが貫かれていますね。

「戦わない選択」。これが万太郎のキャラクターです。私は好きですよ。

「ヒロイックに描いていない」や「戦わない」というよりも、あくまで植物学のフィールドを基軸に物事を考え、行動し、発信しているということではないでしょうか。

あと1ヶ月で完結ですね。まだ万太郎は35歳ぐらいですね。ここから政治や戦争などの社会的な情勢と、万太郎の90代までを描くのでしょうか。楽しみです。

「右頬を叩かれたら、左頬を差し出せ」というのは宗教思想ですよね。戦わないという人類最大の難題を、今の日本で問う意味は何でしょうか?誰だって差別なんてされたくないし、したくもないのが本音ですよね。

実在した富太郎さんとドラマの万太郎は真逆で、フィクション、それだけです。

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